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救人募集 前編

  これで五件目。
 カバンの中には用意された履歴書在中。
 椎名 睦
シイナ マコト
 25歳
 先月、勤続三年、大学卒業後初めて勤めた会社を退職した。
 理由は上司のセクハラ。
 事情を知っている回りの同僚達の好奇の目や同情といった不穏な空気に耐えられなくなっての結末だ。
 だが勢いで辞めた所でこの不景気である。
 直に次の勤め先が見つかる訳もなく‥。
 勿論、自己都合による退職のため失業保険の給付は三ヶ月先。
 食い潰せる程の大した貯えもない。田舎の両親にはまだこのことは言えずにいた。
 年老いた両親に心配かけたくないのもあるが、退職して今は姉夫婦と暮らしている親に頼るわけにはいかない。
 現実の厳しさが骨身に染みる今日頃ごろ。足を棒にして次から次と紹介先に面接に行っては『不採用』が続いている。
 つい先ほど面接を済ませた所も、どうやら既に採用は決まっているような口ぶりだった。
 結果を待つまでもないと帰りの道のりの足取りも重い。
 必要経費は最小限にしたいと交通手段は電車かバスにしている。
「そろそろ、バイトでもいいから探してみるか」と、誰に言う事なく呟く。
 電車代も事欠くようでは洒落にならないと思い始めた矢先だった。
 それに気がついたのは‥。
 いつも通り最寄の駅までの道を歩いていると、ふとドアに貼ってある張り紙が目に留まった。
 概観はどこか店舗のようなに見えた。
 だが間口が異常に狭く、よく見えると両脇のビルの狭間に隠れるようにドアだけしかないようにも思える。

(こんな建物あったか? 何度もこの道通ってるのに、気付かなかったなぁ)

 おまけに張り紙の貼ってあるドアは、埃っぽい薄汚れた感じで到底開店しているようには見えない。
 もしかして就業場所は別なのかも知れないとその張り紙の内容を確認する。

【救人募集/動物の世話 経験不問 給与等詳細は面談の上 住込み可 急募 下記連絡先まで  090−○○○ー○○○○】

(動物の世話って‥獰猛な動物って訳はないか‥経験不問だもんな。多分‥犬が数匹ってとこか‥餌とか散歩とかだろうな‥)

 と勝手に想像して、そうなると大した仕事ではないから時給も期待できないだろうと思った。
 しかし‥住込み可というのは魅力的だ。
 衣食住の食と住だけでも確保できれば、月額の給料等おこづかい程度でもどうにか生きていける。
 生きていられればいいなんて、こんな切羽詰った状況なのには訳がある。
 実は今のアパートは今月末が更新月で、先日大家が家賃の値上げを勧告してきたのだ。
 いきなりだったので文句を言ったら、契約書に値上げの可能性のある文面が記載されていると開き直られた。
 契約書をよく見れば、確かにその文面はあった。
 雑な性格が災いした結果なんだろうが、実際そこまで確認するだろうか。
 ここに来て更新料だの家賃値上げだの‥泣きっ面に蜂?みたいな。
 などとボヤキながらそのドアの前で立ち尽くしていると、
「募集の人?」と、いきなり後ろから声をかけられた。
 声のする方に振り向くと、そこに立っているのは僕より少し小柄で、『男?』と疑うほどスレンダーで、恐ろしく顔の造作が整っている美青年だった。
 金褐色にも見える薄茶の髪と同じく瞳も同系色でおまけに透けて見える。
 日本人離れした風貌に目が釘付けなってしまった。

「‥‥」
 僕が返事をしないのを不振に思ったのか、
「なに? ちがった‥」と軽く舌打ちされ、
「悪い、関係ないんならそこどいてよ。邪魔なんだけど」
 綺麗な顔が一瞬で歪み、似つかわしくない口調で邪険にされた。
「あっ‥ご、ごめん」
 僕はその豹変ぶりに驚きながらも、慌ててドア前から退いた。
 そして彼が不機嫌も顕にドアの取っ手に手を掛けた時、
「えっと‥ これってまだ募集してますか?」
 と、なんの感慨もなく声をかけてしまった。
 その呼びかけに振り向いた彼はさっきの不機嫌さがまるで嘘のように、
「なんだぁ〜 やっぱそうなんじゃん‥入って入って!」
 と一変して上機嫌な顔で僕の腕を掴むといきなりドアの中へと引き摺り込んだ。
 何故かこの時、この青年の変わり身の速さに一抹の不安を感じた。
 なんか早まってしまったのじゃないかと‥すごーく嫌な予感がしたんだ。

 それは既に【救人募集】を【求人募集】と読み間違えている事から始まっていた。

「ダッド! おーい」
 と無理矢理引き込まれた家の中に入るなり、彼は叫んだ。

(ダッドって‥親父か? この綺麗な青年の父親だろうか‥)

 なにがなんだか分らぬまま、尚も呼び続ける彼を横目に僕は辺りの様子を窺った。
 中は足元も覚束無いほど異常に暗かった。
 入り口はドアだけの狭い間口だったが、中は以外に広いようだ。
 薄暗い中、よく見ると奥には二階に続く階段がある。
 彼の時折怒鳴る声以外、辺りはシーンと静まりかえっていた。
 そんな静寂の中で、さっきからコチコチと妙な音が耳についた。
 見れば二階に続く階段横の柱に時代錯誤のような大きな柱時計が立掛けてあった。
 どうやら奇妙な音はその時計から聞こえてくる。
 なんだか‥一昔前にタイムスリップしたような懐かしい空気が漂っていた。
 辺りをキョロキョロしながら歩いているといきなり何かが肩に触れ、
「ぉおっ」
 驚いた僕は思わず奇声を上げてしまった。
 触れたのは木製の棚の角で、何もないと思っていた空間にはよく見ると所狭しと棚が並び雑貨のようなものが陳列されていた。
 そこだけ見れば何かの商売でもしていように思えた。
 だがとても商売気があるように思えない。陳列された商品は雑多で、これではどう見ても物置だ。
 それにどれも薄っすら埃を被っている。

(ほら、指で掬えそうだ)

 もう何年も掃除をしていないような生活感のなさは、廃家のような雰囲気さえ感じた。

(本当にこんな所に人が住んでいるのか?)
 
 と益々怪しい状況に、『後悔』と言う二文字が頭の中に浮かんだ。
 しだいに不安に駆られ始めたとき、
「‥‥なに‥ご飯の時間‥ですか‥」
 悠長な語り口で例の階段から人が降りてきた。
 その口調は子供の頃聞いたカセットテープが間延びした音に似ていた。
 だが暗闇から徐々に顕になったその風貌に息を飲んだ。
 二メートルはありそうな大男で髪が見たこともないような銀色をしていた。
 それも腰までありそうな長い髪は後ろに一つに束ねてあった。
 顔は面長な壮年の風貌で、両目が瞑ったままなのだ。
 見えるのか、そうでないのかよく分からないが、そんな素振りなど微塵も感じない。
 それにどこかの民族衣装なのだろうか。
 紗ような薄い布を何枚も重ねた衣装というより布を巻きつけただけの代物で、淡いモスグリーンの布からチラリと見える男の小麦色の肌にまるで同化するように違和感がなかった。
 耳と首に凝った造りの装飾品。イミテーション?には見えない輝きがある。
 なんなんだろう‥この男は。芸能人でさえこんな派手な身なりの人は見たことがない。
 一段と怪しくなってきた状況に不安がマックスになりつつある。だが今更帰る訳にもいかず、取敢えず様子をみることにした。
「なにがご飯だよぉー 支度できたのか、もう時間だろ」と先程の青年がなじる。
「ああ‥でもお腹空いた‥シド」
 と低い声音で告げると傍に寄ってきた青年を引き寄せた。

(シドっていうのか‥)

 と心の中でその名を呟いた時、目の前で信じられないような光景が繰り広げられた。
 あの大男が小柄な青年を抱き込んだと思ったら、いきなりディープな口づけを始めたんだ。
(うぉー、な、なんなんだ。さっき‥確かダッドって言ってなかったか?
 え? えええ――――ッ 親子じゃないのか! 嘘だろっ!)

 だがその見るに耐え難いはずの光景は、長身の男の長い銀髪が異彩を放ち、その辺りだけ光に包まれたような輪を描いた。
 そしてあの青年の綺麗な顔が凶悪なまで色香を増し、濡れた唇が薄く開くと互いの舌が絡み合う。やがて唾液が銀の糸を引き、青年の頬が仄かに色づいた。
 僕は見てはいけないような気がして、慌てて目を逸らした。
 すると静寂な中、クチュクチュと艶かしい音がこれでもかと耳朶をなぶってきた。

(ヤバっ! なんか腰にきた‥どうしよぉ〜)

 僕は節操の無い反応に慌てて股間を押さえた。
 堪らず目を開けると、そんな不埒な心根など跡形もなくなるくらい目の前の光景に息を呑んだ。
 銀色の光彩は眩いばかりに光輝き、二人のシルエットを浮き彫りにしていた。
 それは得も言われぬ美しさで、艶美な風情に思わず溜息さえついた。
 茫然自失で見とれていると、

 ゴン!

「いっ! 痛いよー シド」
 あの大男が頭を抱えながら、シドと名乗る青年を上目遣いに情けない顔で文句を口にしている。同時に光は瞬時に消え失せた。
「いつまで食ってんだよ。いい加減にしろ!」と青年が興奮気味に怒鳴る。
 どうやら彼が大男の頭を一発殴ったようだ。
 だが‥
(食う?ってなんだ)と、その謎の言葉がまた新たな疑惑になった。

 展開が読めず困惑していると、
「ああ‥ダッド、お客だよ」
 と今まで放置していた僕の方に目を向けてきた。
「ああ‥ いらっしゃい‥」
 と相変わらず間延びした口調の大男も僕の方に顔を向ける。
「ぼ、僕、あの‥求人募集みて雇って頂けないかと‥」と、しどろもどろになりながら本来の目的を口にした。
「ああ‥焦らなくて‥いいよ‥ えっと‥どこに‥行ってもらおう‥かな」と、これまた意味不明な受答えに益々謎が深まった。
「ダッド‥ 黄泉路の案内人の聖ちゃんが人手が足りないって‥」

(ヨミジの‥セイ‥って、なんだ?)

「ああ‥聖のところ‥だね。うん‥聞いてみよう」
 と二人だけに通じる会話を交わすと、大男が行き成り長い銀髪を一本引き抜き、上空へと投げた。


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