桜の満開の季節も過ぎ、俺は三年に進級した。 今日はここ都内の仏蘭西料理店『ル・フラン』で、山上さんの家族と食事会だ。 あれから藤堂の話は聞かない。というより兄貴は結婚準備で忙しいらしくお店の話題よりそっちの話でもちきりだった。
六本木駅近くの住宅街の中にある明治の時代さながらの洋館は綺麗に補修されており、中のエントランスホールには絨毯が敷き詰めてあった。既にベテランの域の壮年のギャルソンが出迎えてくれた。 俺らは約束の時間より30分も早く到着した。 兄貴があちらの家族を待たせるような事はしてはいけないと至上命令からだ。 俺は制服のままで直行した。明日は日曜日なのでカバンは野々宮に預けた。 三年になると毎週土曜日は進学クラスの補習に充てられる。 兄貴は普通にスーツ姿なのだが何を着てもその美貌を隠す事はできないようでさながら男装の麗人といった趣なのだ。 それに何故かさっきからボーイが何度も注文を聞きにくる。 その度に兄貴は、「連れがまだなので‥後で」と、にこやかに応えている。 結局男物のスーツ姿なのに女顔っていうアンバランスな感じが謎めいていて、彼らの興味をそそっているのかも知れない。 そんな中、本来他の個室へ案内するはずのお客を引き連れてボーイが入ってきた。 「あっ‥し、失礼しました」 間違えに気付いてすぐ一礼する。その時ボーイの後ろの客の姿がちらついた。 どこかで見たような‥と思っていたら、 「あれ‥もしかして薫ちゃん?!」 「まあ、どなたかと思えば‥」 兄貴の顔見知りだったらしく、その男はいきなり声をかけてきた。 ボーイより頭一つ高い長身で、ダークグレーのスーツをしっくり着こなした男は忘れもしないあのねっとりした雰囲気を纏った能面のような瓜実顔の笹倉だ。
ひぇ〜 あの時の変態やろうだっ!
ボーイが呆気にとられている間に笹倉は図々しくも部屋の中のテーブル席近くまでやってきて兄貴との会話を続ける。 「今日はなに? 学生服の子なんか連れちゃって」 能面の様なつくりの細い目元を光らせて何かを嗅ぎ回るように尋ねてくる。 「やだ! なんか勘違いしてません。弟ですよ」 「へぇー」 そういうとその蛇にような狡猾な目が俺を捕らえた。 今の俺はさしずめ蛇に睨まれた蛙って感じだ。 「翔、バカンスの常連さんで笹倉様よ」 「笹倉様‥弟の翔です」 兄貴に紹介されて俺は無言のまま伏し目がちに軽く頭を下げる。 「もう! はじめましてくらい言えないのぉ!」と、俺の無礼な態度に詰る。 「いいですよ気にしなくて‥薫ちゃん。なにかと恥ずかしがる年頃でしょう」 「もうっ! 高校生にもなって恥ずかしいったら!」 「ほぉ〜 何年生?」 「‥三年です」 俺は笹倉に感づかれないように声音を出来るだけ低くして返事した。 「今年受験生かぁ〜 その制服フゾクのだよね。頭いいんだ」 「あら、笹倉様ご存知なんですか」と語尾を上げ兄貴は少し自慢げに聞き返した。 「実は僕の母校なんだよ」 「まぁ〜そんなんですか? 翔の先輩なんですって!」 「受験勉強大変でしょ」 と問いながら奴は俺の視界に入るように覗き込んできた。 その切れ長で絡みつくような視線にゾワッと鳥肌が立つ。 「あ、いえ‥特別進学組なんで‥」 「へぇー特進なんてすごいじゃないかっ! 国立か医学部狙い?」 「まぁ〜入れればですけどね」 と虚栄心丸出しで益々調子に乗る兄貴が声高々に話に割り込んできた。 「なんだったら‥」 と笹倉が言いかけた時、ドアの方から『コンコン』とノックするような音がした。 見るとどうやら笹倉の連れらしい若い男が待ちきれないとドアを叩いて催促したようだ。 笹倉は舌打ちするように顔を歪ませると、 「話の途中すまない、私の連れは気が短くて困るよ」 「まあ‥こちらこそお引止めして‥」と断りを口にすると兄貴は席を立ち深々と頭を下げる。 俺も調子を合せるように軽く会釈する。 「じゃあ、薫ちゃん‥それに翔君‥だったね」 笹倉はそう念押しすると「また会えるといいね」と意味深な言葉を残した。 俺は思わず息を呑んだ。 奴は片手を挙げ連れの男に目配せすると一緒にドアの外へと消えた。 そしてボーイが、「大変失礼いたしました」と平身低頭して謝ると静かドアを閉めてその場を後にした。 俺は笹倉に感付かれず、どうにかやり過ごす事が出来てホッと胸を撫で下ろした。 世の中ほんと狭いよなぁ〜 マジびびった
思わず握り締めていた手の平が妙に汗ばんぜいた。 どれだけ緊張していたかと思わず苦笑した。 暫くすると山上さんが家族引き連れて部屋に入ってきた。 山上さんの両親と長男夫婦と次男夫婦と既に嫁いでる姉夫婦。 ゲイカップルの家族紹介というので斜に構えていたのだが、家族の方々は山上さんと同じで実に穏やかな人達だった。 山上さんの言った通り、既に高校の時からカミングアウト済みで家族の面々も慣れているのか偏見もないようだった。 それに兄貴はあちらの家族とは既に面識があるようで、なぜか俺の高校生活やら受験の話で盛り上がった。顔見世の儀式も終わり宴もたけなわの中で俺は用を足すため席をたった。 すると洗面所には既に先約がいた。 見ると先ほどの笹倉の連れの若い男だった。 でもなんだか様子が奇怪しい。 洗面台の鏡に向かって口元を押さえている男の姿を横目に関わらないように通り過ぎようとした時だった。 「おい! まてよ」と行き成り声をかけてきた。 どう見ても辺りに人影はない。俺の事かと振り向くと、 「お前! 笹倉さんとどういう関係なんだっ!」と怒鳴った。 その不躾な問いに戸惑いながらも 「‥どういうって‥関係もなにも今日初めて会った‥んだけど」と不本意ながら応えてやると、 「嘘をつくなっ! 笹倉さんがお前の事、やっと逢えたって言ったんだぞ」 「今日初めてな訳ないだろっ!」 そう言うといきなり胸倉を掴んできた。 俺は男の暴挙より笹倉の言葉に驚愕し動揺していた。
やっと逢えたって‥なに!? まさか‥。
「おい! なんとか言えよっ!」 ハッと我に返ると目の前の男の口元の腫れが目に付いた。 俺はその痛々しい傷跡に無意識の内に手を差し伸べようとした。 だがその手は「さわんなっ!」と男の怒声で一喝され掃われた。 「それって‥もしかして笹倉にやられたのか?」 「そんなんお前に関係ねぇだろっ! っんだよ! 知らないっつーておきながら呼び捨てかよっ!」 そう詰った男の言葉に、『しまった!動揺して注意が散漫になっていた』と今更ながら気付く。
あの爬虫類独特の粘着質な執着は、あの時充分体験済みのはずだったのに‥。 優しい口調に反した鬼畜な扱い。この男の口元の理不尽な傷跡さえ妙に納得がいく。 そしてあの男の勘の良さも忘れていた。 俺を大学生だと勘違いして『どこの大学か』との問いにママがしどろもどろになっているとすぐに話題を変えてきたじゃないか。 ヤバッ! 俺の事バレてんなら‥本当は高校生だって知られたって事だろっ?‥うわぁ!‥未成年を就業させた事がわかったら‥『バカンス』は!?‥ママは!?
俺は奴に胸倉を掴まれたまま、現状の心配ではなく先の不安で頭が中が飽和状態だった。 そんな無反応な俺に業を煮やした奴は、 「シカトすんじゃねえよ! このっ!」 奴の拳が振りあがり今まさに俺の顔面めがけて振り下ろされそうになった時、 「君! やめなさい!」 と入り口付近から男の声が止めに入り、奴はは慌てて俺から離れた。 その慌て振りから、もしや笹倉かと俺は振り返って確かめた。 振り上げた拳を静止し、俺の胸倉から奴の手を解いたスーツ姿の長身の男の顔を捕らえて俺は一瞬のうちにフリーズした。
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