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Majikaよ

第三章 その四

 懸念した通り問題が発生した。
 例の笹倉が『バカンス』に来店。兄貴に俺の家庭教師を無償で請け負うと言ってきたのだ。
 勿論、俺は直ぐに拒否した。
 奴の下心はみえみえだ。
 だが、すっかりその気になっている兄貴を説得するのは一苦労だった。
 理由を言えば、『バカンス』での事を白状しなければいけない。
 仕方なく、効力絶大の山上さんに相談する事にした。
 なんと言っても『紫』の存在を知る関係者だから話は早い。
 山上さんには店で笹倉に変に気に入られてしまった事やセクハラまがいの行為等を藤堂を絡めないよう注意しながら説明した。
 そして、先日の仏蘭西料理店で奴に偶然会い、『紫』だと正体がバレてしまったかも知れないという懸念。
 そしてタイミング良く家庭教師の申し出をしてきた事実。
 断りたいのに兄貴がすっかり乗り気でどうしたら良いか困っている事を相談した。
「翔君‥わかったよ。なんとか薫ちゃんを説得してみよう」
「山上さん、すいません‥こんな事お願いして」
「でも‥」
 山上は言い淀むと、なにか気になる事があるのか顔を曇らせた。
「山上さん?」
「いや、単なる老婆心になればいいんだけど‥そんな執拗なタイプが簡単に諦めるかなって‥」
「あ、そっか‥こっちも未成年で就業って弱味あるし‥」
「ん‥僕はこれくらいしか手助けできないけど‥もしこれ以上しつこいようならママに相談した方がいいよ」
「‥そうすっね」
 俺は山上さんの言うその最悪な事態にはならないだろうと安易に考えていた。
 山上さんの説得で兄貴は渋々諦め、笹倉には丁重に断りを入れた。
 後日、どうやって説得したのか尋ねると、
「ああ‥お客に借りを作らないで欲しいってそれだけだよ」
「おお! さすがっ!」
 俺の関心しきりの驚嘆の声を山上さんは照れ臭そうに苦笑した。

 だが、やはりそんな事では容易く諦めてくれなかった。
 俺の学校を知っている奴はOBとして訪ねて来たのだ。
 金曜日の下校時、担任から進路指導教室に呼ばれた俺は部屋に入ろうとして担任の傍らにいる笹倉の姿に我が目を疑った。
「どうした? 板倉、入りなさい」
 入り口付近で躊躇している俺に担任が促す。
「失礼します」
 俺は担任も同席するのだからと開き直ると、一礼して中へ入って行った。
「笹倉さん、先程話した板倉です。」
「板倉、こちら笹倉さんとおっしゃって、ここの卒業生で今年度の我が校の評議会の選任理事になられた。それで誰か生徒で校内を案内して欲しいとのご要望だ。新校舎を重点的に案内してもらえないか?」
 なんでという訝る気持ちが俺の顔に露骨に出ていたのか、担任は言い訳を口にする。
「まあー誰でもと言う訳にはいかないからな‥で、学業成績優秀なお前に来てもらった訳だ」
「‥それなら俺より佐内の方が優秀じゃないですか?」
 佐内は学年トップで、全国模試でも常に上位ランクに位置する秀才だ。
「佐内はな‥一年の時から帰宅部だ。その点お前はクラブ活動と充実した学校生活を営んでいる。案内には最適だろ! それにお兄さんと知り合いと聞いたぞ」
 兄の事を持ち出され、思わず奴を睨んだ。
 だが奴は薄っすら微笑むと逆に射いるように凝視してきた。
「‥‥」
 その視線にゾッとした。
 そしてここまで用意周到にされると防ぎようがないと途方に暮れた。
「じゃあ、頼んだぞ! それでは笹倉さん私は職員室にいますので‥」

 えっ?! 職員室に帰るって‥ちょっ! 先生っ!

 予想もしなかった展開に俺はパニくった。
「無理を申しまして、ご配慮ありがとうございます」
「とんでもありません。この板倉は先ほども申しました通り、文武両立し有意義な学校生活おくっておりますので案内には最適だと思います。じゃあ何かありましたらお呼び下さい」
と担任は軽く会釈するとそそくさと部屋を後にした。
 最悪なパターンだった。
 部屋は一変して不穏な空気に包まれる。
 俺は無言のまま、奴の出方を待った。
「翔君、あれ以来だね」
 相変らずの能面で、その狡猾な蛇のような目は圧倒的な力で俺をねじ伏せようとした。
「まわりくどいのは好きではないので単刀直入にいこうか」
そう奴は意味深に話を切り出した。
「‥」
 俺は得体の知れない戸惑いに畏怖の念を感じた。

「探したよ‥私の可愛い紫(ゆかり)」
「っ‥!」
 奴のその一言に思わず、体をビクつかせる。
「あくまで隠し通すつもりだろうが、無駄な事はやめなさい。店の子に裏はとってあるんだよ。紫は薫の弟だってね」
 奴の不敵な嘲笑とその言葉は俺の抵抗を根こそぎ奪い、蜘蛛の巣にかかった蝶のように雁字搦めに戒めてくる。
 それでも奴の言った事を鵜呑みにする訳にはいかない。
「嘘だ!」
 ママの信頼は絶大のはずだ! それを裏切るような子がいるとは思えない。
「彼女とは‥もとい、彼とは利害が一致してね」

 利害が一致‥って何? 俺と笹倉がこうなることを望んでなんの徳があるんだよ!
 だめだ!どう考えても思いつかない!

「誰なんだよ! 利害が一致って!」
「それは言えないな‥まっ、いずれわかることだよ」
「‥‥」
「それにいくら否定してもそうやってムキになる所が論より証拠。既に馬脚を現してるんだよ。そうだろ? 紫」

 しまった! ついムキになった‥シラを通せばよかったのに‥

「‥‥」
 悔しいがこれ以上反論できない。言えば言うほど墓穴を掘るようなものだ。
「黙秘ですか‥まあいい、人間諦めが肝心だ」
「さて、時間を無駄にしたくない。本題に入るとしよう」
「‥‥」
「まず君に私を拒否する事はできない。理由はわかってるね‥『バカンス』を存続させるために‥」
「やけに言葉を省くじゃないか‥あんたにそんな権限なんてあるのか?」
「やっと口を聞いてくれたね‥早くその唇を奪いたいよ‥憎まれ口がたたけないように」
 狡猾で残忍なその射るような視線に俺は思わず震撼した。
「残念ながら‥あんな店、明日にでも営業停止‥できるんだよ。関係各位にそれぞれ身内がいるんでね」
 奴の家柄を考えれば満更嘘でなく事実かも知れないと思えた。
「‥‥」
「まただんまりですか‥まあー納得してもらえた様だからいいですが‥では、早速こちらの要求を聞いてもらいましょうか」
「‥‥」
 あくまで無言の俺に意味深に微苦笑すると、
「明日の夜、指定の場所に来るように。時間厳守です‥あ、制服は困りますから私服でね。ドレスはこちらで用意しますから」
「ドレス? 女装するのかっ!?」

 冗談だろっ なに考えてんだよっ!

「なに、ちょっとした余興に付き合ってもらうだけですよ‥お楽しみはその後だ」
「その前に‥」
 そういうと奴はいきなり俺の正面まで足早に近寄ってくると、
「あっ!」
 顎をつかまれたと思った瞬間、奴の唇で塞がれた。
「う‥んんっ!」
 ねっとりとしつこいまでの濃厚な口づけ、奴の唇が僅かに離れるたびにブチュッと卑猥な音をさせながら何度もきつく吸い付かれる。俺は唇を噛み締め奴の舌の侵入を拒んだ。
 制服のブレザーの中へと奴の手が忍び込んできた。
 それを払い除けようとした俺の手は直ぐに奴の手に捕らえられた。
 そしてカッターシャツ越しに俺の胸の脹らみを探り当て、奴の手の平で擦られた。
 布との摩擦で、それはあっという間に先端を尖らせる。
「ああっ‥やめ‥ろ」
「だめだよ‥もうこんなにして‥ああっ ゆかりぃ〜可愛いよ」
「このまま食べてしまいたいっ 君の善がる姿を想像しただけでイッてしまいそうだ」
 そう言いながら奴の既に膨張しつつあるものを俺の腰に充ててきた。
「ほら、どこに入れてあげようか。上の口、それとも下? 紫の柔かい桃を掻き分けて、ここに捻じ込んで─」
 そう言うと制服のヒップラインをなぞり秘所の部分を人差し指で布越しに差し込んできた。
「あぅっ」
 と、声を上げ身の毛がよだつ程の畏怖に体強を強張らせる。
「あぁ〜 たまらないよ。でも‥楽しみは後にとっておこう」
「明日の夜はしっかり可愛がってあげるからね」
 最後にねっとり口づけをして俺の戒めを解いた。
 そして俺の携帯を差し出させると番号を登録した。
「明日連絡する。分かってると思うが下手な真似はしないように」
「‥しねぇよ」
 俺は忌々しく刷き棄てるように口にした。
 笹倉は部屋の入り口付近で立ち止まり、
「なにしてる。案内してくれるんだろ?」と指示してきた。
「ちっ!」
 俺はこれ見よがしな舌打ちした。
「新館で‥そうだな準備室とかないの? 誰も入ってこないような‥」
 そう口にする奴の薄ら笑いが堪らなく苛つかせた。
「ねぇよ! 予備室はどこも補修授業中だ」
「なぁんだ、それは残念。まぁ〜このポストも叔父に無理を言ったことだし‥ここは大人しくしておくか‥」
 最後は独り言のように呟いた。
 どうやら評議員選任理事も裏で画策したようだ。

 ばっかじゃねぇ!  そこまでするかよっ!

 奴の執着振りに呆れた。同時に唇に残った感触に最悪な気分だった。
 明日の事を考えるともっとネガティブになった。
 そして新館の中を案内し終わると用があるとかで奴はさっさと引き上げて行った。

 翌日の土曜日、俺は補習授業を受ける為に登校していた。
 昼には授業が終わり野々宮と昨夜の歌番組の話をしている最中、ブレザーの内ポケットに入れていた携帯が振動して着信を知らせた。
 俺は慌ててトイレに駆け込み、携帯の着信履歴の番号に折り返しかけ直した。
 間髪置かずに笹倉が出た。
「紫か?」
「‥ああ」
「なぜすぐ出ない!」
 機嫌を損ねたようで語尾が荒い。
「悪い! 今、学校で‥持ち込み禁止だから教室でとれなかった」
「土曜日も登校するのか?」
「ああ‥SAクラスは土曜も特別授業があるんだ」
「まあーいい‥だが制服は不味いな‥」
「制服じゃない‥今日は正規の授業じゃないから規制されてないんだ。だから皆殆ど私服」
「そうか、それならいい。今から学校まで迎えにいくから裏門の所で待っていなさい」
「わかった」と、俺は諦めムードで答えた。

 展開は最悪な方向へと向かっている。
 昨夜もママか静さんに相談しようかと散々悩んだ。お陰で睡眠不足だ。
 勿論、奴の言い成りになるつもりは毛頭ない。
 だが、『バカンス』という人質がいる限り下手な事も出来ず、結局なんの打つ手もないまま奴の指定された場所で待っている。

 約束の場所で待っていると一台のタクシーが目の前で停車した。
 すると同時に携帯が鳴り出し、慌てて出ると行き先は伝えてあるからと目の前のタクシーに乗るよう指示された。
 ドアが開き、乗り込むと運転手は無言のまま発進した。
 やがて都内の比較的歩行者の少ない銀座の通りにあるビルの前で停車した。
「つきました。サロン由美前です」
「あ、はい‥」
 訳も分らず、取敢えず下車するとまた携帯が鳴った。
 奴はサロン由美に入り、待っている担当者の女性に全て支度は頼んであるから指示された通りにするよう言ってきた。
 そして時間になったら迎えに来ると用件を言うと切れた。
 またしても奴は姿を現さず、なんでこんな茶番に付き合わなくちゃいけないんだと苛ついた。

 前面ガラス張りのショーウインドーには赤いリボンが縦横無人に張り巡らされ、その中央に胸を隠すように上半身裸の外国人モデルのポスターがアーティスティックに装飾されている。
 どう見ても女性専用サロンにしか見えない。
 俺はゴクリと生唾を飲み込み、覚悟するとガラスドアを開け中に踏み込んだ。
「いらっしゃいませ、笹倉様ご紹介の方でいらっしゃいますか?」
 いきなりそう聞かれ、「あ、‥はい」と面食らった俺は間の抜けた返事をした。
「本日は当サロンご利用頂きありがとうございます。私、担当させて頂きます店長の若林と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
「は‥はい、こっちこそ宜しくお願いします‥」
「笹倉様から本日は大使館でのレセプション後の仮装パーティーに参加されるとか?」
 笹倉から詳しい事は何も聞かされていなかった俺は唖然とした。
「‥‥」
 俺の沈黙が気まずい雰囲気になる。
「叔父様から何も聞いていらっしゃらないですか?」
「叔父?」
「ええ‥甥御様を連れて参加されるとか‥」
 どうやら奴とは叔父と甥の間柄らしい。ここは話を合わせるしかないと腹をくくる。
「ええ‥なんかの余興に参加してくれって叔父さんから頼まれたんだけど、詳しい事なにも聞かされてないんです」
 若林という担当はホッと胸を撫で下ろし、
「そうなんですか‥それと仮装ですからね。一応雪の女王でと注文承っておりますが‥」
 俺に同意を求めるように語尾が不安げに聞いてくる。
「ええ、女装って聞いてます‥雪の女王か‥なんかすごいですね‥」
 実際女装は聞いていたので驚きや戸惑いはないが‥仮装と聞いて思わず苦笑した。
「ええ、腕によりをかけて満足頂けるよう致しますので、それではこちらにどうぞ」
 俺の同意を得ると俄然ヤル気になった彼女は店内奥へと先導する。


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