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Majikaよ

第四章 その二

 俺は聞き覚えのあるその声に一瞬驚くものの、ここにいる筈はないと真っ向否定する。
 すると再びドアの向こうから声をかけてきた。
「紫! 開けてくれっ! 時間がないんだ、私だ! 藤堂だ!」
「っ!」
 藤堂だと確信できた俺だが今の現状にどうやってドアを開けようかと思わず困惑する。
 何せ後ろ手に拘束されているのだ。
 俺は後ろ向きで前かがみになり、戒められた両手を出来るだけ高く掲げてどうにかドアノブに手を届かせた。
 そのままノブを下に倒して引こうとしたらいきなり、
 
 バンッ
 
 と、いきよいよく開かれ、俺はドアに弾かれて前のめりに倒れ込んだ。
 部屋に飛び込んできた藤堂は後ろでに縛られた俺の姿に驚く。
「大丈夫か‥」と、すぐに抱き起こされた。
「な‥なんで?」
 なんでこの男がここにいるんだと驚愕のあまり口パクで言葉にならない。
「ここに私がいる理由は後で説明する。ただ、笹倉を引き止めておくにも限界があるんだ」
「取り合えず、今すぐここを出るぞ」
 咄嗟にそれば出来ないと頭を振って拒否した。
「なんでだ? 奴に弱みでも握られているのか?」
 一瞬体をビクつかせる。
「とにかくここを出る心算ないよ、ほっとけよ」
 俺がいなくなれば、笹倉はすぐその報復を決行するのは目に見えている。
「ほっとけって‥笹倉が好きなのか?」
「‥」
 応えあぐねているといきなり藤堂の胸ポケットの携帯が鳴る。
 すぐに藤堂は携帯に出た。
「ああ‥そうか‥わかった‥色々済まなかった‥助かったよ‥じゃっ」
 手短に用件を済ませると急にスーツの上着を脱ぎ、半裸の俺の肩に掛ける。
「なっ!」
 抵抗も反論の余地も与えず、いきなり俺を抱きかかえると開け放したままのドアから飛び出し足早にエレベーターに向かった。
 二基あるエレベーターの片方が既にこの階を目指して上昇中だった。
 藤堂は反対側のボタンを慌てて押した。
「くそっ 間に合わないかっ」
「離せよ! なんなんだよっ!」
「静かにしろっ 今隣のエレベーターで奴が上がってきている」
「えっ?」
 そんなに早く‥最上階の前の数字が点滅している。
 こちらのエレベーターも同じ速度で上昇してきている。
 あちらが先に開けば、万事休す‥。
 心臓が早鐘ように脈打った。

 うわぁー。   マジヤバっ!  

 怖くて藤堂の腕の中で思わず目を瞑った。
 
「チンッ」
 
 エレベーター到着の音が静かなフロアーに鳴り響く。
 いよいよ隣のドアが開くというタッチの差で待っていたエレベーターのドアが開く。
 藤堂はすかさず乗り込むと地下へのボタンを押し、エレベーターは一気に降下し始めた。
 あれだけ出て行く事に抵抗していたというのに、奴に出くわさずに済んだ事に心底胸を撫で下ろした。
「軽いな」
 藤堂はお姫様だっこのままの俺を見つめて揶揄(やゆ)する。
「降ろせよっ! いつまでこうしてるつもりだ!」
 俺は直視できず目線を外して悪態をつく。
「いや‥降ろさない」
「っんな! ふざけんなっ! んっ」 
 抗議の声は奴の唇で遮られた。
 
 なっ! こんなの‥ 卑怯だ‥ 
 
 久しぶりの巧みな口づけ‥。
 抵抗できる訳がない。絡み合う舌。嚥下しあう唾液。
 現金なものだ。散々唇を弄られた笹倉には全く反応しなかった俺のものは既に熱をはらんでその在処を主張し始めている。
 頭の芯までくらくらしてまるで酸欠状態だ。
 その唇が離れた僅かな隙に大きく吸い込めば‥藤堂の匂い。
 あの懐かしいフレグランス。

 くそっ! 反応なんてしてんじゃねーよ、俺!‥なんか泣きそっ。

 最上階から地下まではの道中、途中邪魔もなくエレベーターの中で貪るような口づけを堪能した。
 地下まで辿りつくと駐車場には藤堂のいつもの車が停車していた。
 助手席に放り込まれ、すぐに運転席に乗り込むと、
「ゆかり、単刀直入に聞く、笹倉にどんな弱みを握られてるんだ」
 俺の手をとりいきなり詰問してきた。
「‥」
 真実を話していいのか一瞬躊躇する。
「笹倉は今頃お前が部屋にいないので逆上してるだろう」
「だから! 俺いかないってっ!」
「ゆかり! 文句や苦情は後でゆっくり聞くから‥こうなってしまった以上今は建設的な話をしよう」
「なっ!」

 なに勝手なことをいって! 折角我慢して‥それを全部チャラにしやがって!

「あの男の事だ、何かあるのならすぐ手を打たないと取り返しの付かない事になりかねない」
 そうだ。藤堂の言う通りだ。すぐにママに連絡しないと!
「俺‥」
 無意識に自分の上着でもないのにポケットを弄(まさぐ)り、携帯を探す。
「ちょっ! ママにっ! くそっ! 携帯っ‥んだよっ!」
 藤堂は俺の両肩を掴み、
「ゆかり、落ち着け!」
 気が動転して、何を口走っているのか自分でも分らない。
「私で出来る事があれば直ぐに手は打つ。奴より先回りする事もできる。信用して白状してくれっ!」
「で‥でも」
 言い淀む俺に藤堂も痺れを切らして、
「笹倉のことだ。今頃やっきになって君を探すと同時にすぐに報復する手を打ってくるだろう。マスコミや公の機関を使われては後の始末が大変になる。間に合わなくなるかも知れない。いいか時間がないんだ!」
「そ‥そうだよね‥あいつそっち関係に身内がいるって‥」
「そっち関係って、なにを脅されてるんだ!?」
 俺は笹倉の尋常でない執着を知っている。そして用意周到な上に残忍な所も‥だが、藤堂にそれが阻止できるのか?‥。
 でも‥今は信じるしかない。藤堂もTDグループのトップなんだ。それなりの人脈もあるだろう。
 俺は意を決して、
 実は高校生で、『バカンス』のママに頼まれて『紫』として二日程手伝った事。
 だがその事が奴に知れ、未成年者を就業させたという事で、場合によっては閉店に追い込むと脅されたと事の真相を告げた。
 事実を知れば、さすがに藤堂も驚愕に唖然とする。
 だってその未成年者に法的に問題になる事いっぱいしちゃってるから‥。

「まいったなぁー」
 藤堂は、思わず口にする。
 だが、すぐに気持ちを入れ替えて携帯であちこち連絡し始めた。
 どこに掛けているのか聞き覚えもない名が出てきて検討も付かない。
 
 横で黙って成り行きを見守る。
 ふと‥あの咽(むせ)ぶような薔薇の香る部屋の中で笹倉はどうしているのかと頭を過る。
 狂気の中、薔薇の花びらが部屋いっぱいに散乱して、その中であのねっとりした狡猾な視線をぎらつかせ、俺に対する痕跡から復讐燃えている姿を想像して恐怖に震撼した。
 思わず身震いする俺に、
「大丈夫か? 寒いか?」
「ううん‥ちょ、まいってるだけ‥」
 藤堂は俺の頭を胸元に抱き込むと、
「大丈夫だから‥お前は何も心配するな、私がちゃんとするから」
 そして優しくおでこにキスを落した。
 最後の電話はどうやらママの所らしく、粗方用件が終わると俺に出るように携帯を寄越す。
 一瞬緊張して、耳に充てたまま何から話そうかと思案していたら、
「翔ちゃん!」
 開口一番はママからだった。
「ママ‥ごめん」
「なに言ってるの! 誤るのはこっちよ! 脅されたって‥大丈夫なの?!」
「うん‥藤堂さんに助けてもらったから」
 と言いながら思わず罰の悪いさから藤堂に目線を合わせると苦笑する。
「そう‥本当にごめんね。こんなに長く商売してて、笹倉みたいな男見抜けなかったなんて‥」
「ママの方こそ大丈夫なのか?」
 そうだ!何を置いてもそれが一番心配だった。
「全然心配ないわよ‥パパに頼んだから」
 呆気羅漢(あっけらかん)と応えるその言葉に思わず脱力しそうになる。
 ああ‥会長さんか‥そんなに力あるんだ。知らなかった。
 
 そうだ‥山上さんがいってた‥ママに相談しろって!

 といっても今更後の祭りだ。
「とにかく、翔ちゃん今からうちに来なさい‥マンションはもう笹倉が動いてるかもしれないわ」
「えっ?! じゃあー兄貴は? 兄貴大丈夫かな?」
 咄嗟に兄貴の顔が浮かんだ。
「大丈夫よ 今日は山下さん宅にお泊りだから‥それに薫にも連絡しとくから‥藤堂さんに代わって!」
 そうだった最近兄貴は山上さんちへの外泊が続いている。
 俺は安堵しながら携帯を藤堂に渡す。
「ああ‥はい‥そうですね」
 と話が終わると藤堂は大きく息をつくと携帯を内ポケットに仕舞った。
「それじゃあ‥ママの所へ送ろう」
 ママの所につけば藤堂とはもう会えないかも知れない。
 俺は意を決して、
「その前に色々聞きたいことあんだけど?」
「そうだな‥私も聞きたい事がある、ただここには長居は無用だ。場所を変えていいか?」
「あ、うん」
 お互いの意見の一致を確認すると藤堂はすぐエンジンをかけ、ホテルの駐車場を後にした。
 車は港区方面へ向かい東京湾の見える芝浦埠頭で停車した。
 藤堂は直ぐに近くの自販機で飲み物を買ってきてくれた。
「少しは落ち着いたか?」
「うん‥また、迷惑かけちゃって‥すみません」
「また?」
「あ、えっと‥この前の仏蘭西料理店で‥」
 藤堂はいきなり飲みかけのコーヒーを吹き出し噎せかえる。
「ごほっ ぐふっ ぐほっ」
「大丈夫?!」
「きみ‥あの時の高校生?」
「ああ‥うん」
「‥っ! 本当に! 同一人物とは思えない‥」
「一応‥バレないように演技してたから」
「へえー 上手く騙されたな‥それじゃあ薫さんの弟‥なんだ」
「うん‥あのさー それよりなんで助けに来てくれたんだ?」
「ああ、笹倉と『バカンス』であんな事が遭ったのに君との関係が180度変るなんて信じられなかった。それに偶然装ってるのはミエミエで奴がなにか企んでいるとしか思えなかったからね」
「でも実際、笹倉の言う通りだったかもしんないじゃん」
「だが、やはり脅迫されてただろう?!」
「それは結果論だろっ!」
 藤堂がくすりと微苦笑する。
「な、なにが可笑しいんだよっ!」
「‥ムキになるところはやっぱ‥可愛いな」
「な、なに言ってんだよっ!」
 パーッと顔が熱く、赤くなるのがわかる。
「あと、なんでパーティーの時無視したんだよ、『紫』って分った時も全然無視だったじゃん」
 照れを誤魔化すために足早に次の質問を浴びせ掛けた。
「ああ‥あそこで下手に騒ぎは起こせなかった‥各国お歴々が集う上、要人もいたからね」
「じゃあー なんで」
 次の質問は藤堂の叱責で遮断された。
「おいおい、そっちばかり一方的に質問攻めか?」
「ああ、ごめん‥でっ? そっちはなに? 聞きたいことって?」
「ああ‥なんであの朝いなくなった」
 そう口にすると同時に射入るような眼差しに俺はキュッと息苦しくて耐えられず、視界から逃れる様に窓の外に目を反らす。
「‥‥」
「なんだ応えてくれないのか?」
「黙秘権ってあり?」
「言いたく無い事を無理に聞くわけにはいかないか‥でっ?さっき何を言いかけた」
「えーと なんで俺達があの部屋にいるって分ったんだ?」
「跡をつけたから」
 即答だった。実に明快な答えだ。
「だったらなんで直ぐ助けにこなかったんだぁーって聞かないのか?」
 って先に言われて俺は思いっきりむくれた。
 藤堂はそんな俺の仕草に笑いを堪えるように肩を揺らすと、
「面と向かって、『紫』が嫌がってるから渡せって言って通る相手じゃないだろっ」
「門前払いが関の山だ」
 そう言われて一連の流れに疑問が沸く。
「もしかして‥笹倉が急用で出て行ったのって‥」
「ご明察通り。偶々(たまたま)奴の苦手とする知り合いがパーティーに来てたから、ちょっと力を貸してもらったんだ」
 すごいと感心しているところへ藤堂の携帯が鳴った。
 ママが遅いので心配してかけてきたのかと思ったが、どうやら藤堂の秘書のようだ。
「ああ‥支配人から‥ああ‥ティアラが‥」
 そう言うと俺の頭に目を遣る。
 俺ははっとして慌てて頭上に手を充て、今話しに出たティアラがある事を知った。
「ああ‥ここにある。そうだなすぐ持っていく。支配人にはそう伝えてくれ。あっ! それと念の為、鑑定人を頼めるか? ああ、返却した後、偽物騒ぎにならないように‥ああ頼む。茜? ホテルにまだいるのか? これから向うから待っているようにいってくれ‥わかった」
 やっと用件が終わったのか通話を切り携帯を胸ポケットに仕舞う。
 俺は茜さんの名前が出て、現実に引き戻されたような気になった。
 
 馬鹿だ‥俺‥すっかり忘れちゃってた‥。

 だが気落ちしている場合ではない。この高価な代物で揉めているのだから。
「ティアラがなんだって!」
「ああ‥ホテルの客室責任者に盗難届けが出ているらしい」
「それって俺が泥棒したって事?」
「心配いらない‥秘書から支配人に手は打った。ただ今日中に現物を奴の手元に届くようにしないといけないようだ」
「ママも心配してるだろうし‥そろそろ行こう」
「あ‥うん」
 車はまたエンジン音を鳴らして埠頭を後にした。
 
 まだ聞きたい事はいっぱいあった‥。
 
 でも茜さんの名前を聞いたら‥どれもどうでもいい事に思えた。

 ママのマンションは早稲田通りから少し入った所にある。
 玄関ホールで既に待っていたママに抱き締められた。
 すぐ部屋にもどりティアラを入れる宝石箱をママに用意してもらって、藤堂はすぐにそれをもってあのホテルへ取って返すことになった。

 俺は衝動的にマンションのエントランスを出て行こうとする藤堂を呼び止めた。
「藤堂さんっ!」
 藤堂はゆっくり振り返る。
「いろいろ‥ありがとう‥それからさっきの答え」
「俺、怖くなったんだ‥だって‥後の始末も出来ないような子供だっだから」
 藤堂は一瞬目を見張ったが‥すぐに笑顔になった。
 そして踵を返すと後ろ向きのまま手を振りエントランスから出て行く。

 藤堂の最後の笑顔は‥もういいよ‥って言ってるような気がした。


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