藤堂がホテルに向って直ぐ兄貴がママのマンションに飛んできた。 ママからの連絡で粗方の真相を聞いていた。 兄貴が来ると言うので、どんなお叱りをくらうのだろうかと説教覚悟でいたら、 「翔ちゃん ごめん」 といきなり謝られ、思わぬ展開に驚いた。 兄貴が言うのには、今回の事の発端は全て自分が家出したからであって、その場に居合わせた山上の口添えもあってどうやら兄弟喧嘩しなくて済んだ。 「ようは明日からどうするかなんだけど」 とママはこの場にいるメンバーに明日からの打開策を促した。 あれからママは笹倉の事を色々調べ上げ、相当ヤバイ人間だという情報を耳にした。 「そうなるとあのマンションはもう危険ですね」 と山上が指摘する。 「‥だわね。そうだと思ったから翔ちゃんうちにきてもらったの」 「兄貴達も不味くねぇ?」 「うん‥だから薫さんには暫らく僕のマンションにいて貰おうと思うんだけど」 ママと俺はお互い顔を見合わせて、 「そうした方がいいわ」 「うん、俺も賛成」 と意見が合致した。 「あ、それと郵便物とかは僕が仕事帰りによってくるから」 「いいわよ‥どうせダイレクトメールが関の山なんだから」 「薫さん‥僕の言う事をちゃんと聞いて!」 強い口調では決してないが説得力のある声音で、兄貴は殊勝に頷く。 いつも強気で我儘な兄貴からは考えられない光景だった。 そして頼りないと思っていた山上の男気のある意外な一面に正直驚いた。 この前の家出事件からどうも二人の立場が逆転しているようだ。
山上さん! かっけぇ〜
「でも‥あの笹倉さんがあんな人だなんて」 すっかり笹倉に感化されつつあった兄貴は憤慨している。
おいおい‥ 一晩家庭教師って、弟危険に晒したのあんたでしょーが!
「それを言ったら私も見抜けなかったわ」 ママは店の子にも以前から知らない所で被害があったんじゃないかと懸念している。 「茜ちゃんは? 大丈夫だったのかな?」 と、心配する兄貴に、 「笹倉は、茜さんの実家を利用してただけって言ってた」と笹倉から聞いた話をした。 「笹倉がそう言ったの?」と横からママが割り込んできた。 「うん‥あと、この前仏蘭西料理店の『ル・フラン』で、茜さんに会った時、奴の事嫌いだって‥あと─」 例の店の子に暴力を振るった事を口にしようとして、なんか告げ口みたいに思えて、一瞬言い淀む。 「あとなに?」 だけどやっぱ言葉を濁した事をママは見逃してくれなかった。 「うん‥ヘルプについてくれた子の顔面殴ったらしい‥だけど茜さんはそんな目に合った事はないって‥」 「‥‥」 ママは絶句で口パク状態だ。 「ママ! 多分百合ちゃんの事だと思うわ。随分前だけど目の周りが痣になってた事ある! どうしたのって聞いたら、道端でいきなり知らない男に殴られたって‥なんかおかしいって思ったのよね!」 かなり興奮気味のママに拍車をかける兄貴‥。
兄貴の馬鹿! 知らねぇーぞ!
「あんのぉー がきゃあー」 地を這うような声音とママの魔王化した形相に俺達全員が思わず顔を引き攣らせた。
ほら‥どうすんだ‥これ!
だがさすが兄貴! 長年の付き合いだけあって、そんな形相全く無視して話を進める。 「なんで百合ちゃん言わなかったのかしら?」 「笹倉が金で肩をつけたって‥茜さん言ってたけど」 「えっ?」 兄貴が意外だという顔で驚く。 でもママはいきなり号泣すると、 「百合は金で動くような子じゃないわ、うっうっ、多分私に迷惑かけないように気を使ってくれたのよ‥ずびっ」 エルメスのハンカチを取り出すと派手な音で鼻をかむ。 「そうか‥そうよね。あの子店でも一番大人しくて、争い事なんて苦手もいいとこだものね」 兄貴もママの言う通りだと納得する。 俺もやっぱ『バカンス』で働く人達は皆、ママを大事に思っているだと確信した。
じゃあ、俺の正体ばらした利害が一致した店の子って誰なんだろう? あの時、俺の事は兄貴を含め他言無用とママが店の子一斉に戒厳令ひいたんだもんな。 勿論、兄貴は今日まで知らなかったし‥。 あっ‥そうだ! 茜さんも知らなかったんだよな‥。 今日遇った時でも俺が翔だって気が付いた様子もなかったし‥。 確か兄貴も茜さんと『紫』はどこの店の子だろうって言ってたもんな。
やはりどう考えても該当する人物はいない。もしかして笹倉がありもしない話で俺の事嵌めたのかも知れない。 そう考えあぐねていると、 「翔ちゃん‥他になんか気になる事でもあるの?」 とすっかり涙が引っ込んだママが聞いてきた。 「ああ‥うん、笹倉がね。俺が『紫』だと店の子から聞いたって言ったんだ」 「‥!」 「そんな筈ないって言ったら、その子とは利害が一致したからって‥でもどう考えてもいる訳ないし、もしかしたら奴に嵌められたのかなって‥」 俺はそう言って苦笑いした。 「いる訳ないわよ! ママを裏切るような子!」 と兄貴が憤懣やるかたないと怒りを顕にする。 「‥‥」 だが、ママは思うところがあるのか沈黙していた。 「翔ちゃん‥それで‥笹倉とは そのなにか酷い事されたの?」 兄貴は言葉に詰まりながら心配事を口にした。 「ああ‥未遂だよ‥まあーちょっとヤバかったけど、藤堂さんが機転利かしてくれて」 「ああ、藤堂さんね‥でもなんであの方が助けてくれたの?」 段々核心に触れてきたようで、俺は慎重に言葉を選んで口にする。 「ほら、兄貴の変わりに会長さんから紹介されてまんざら知らない間柄でもないから、それにこの前、仏蘭西料理店で茜さんと一緒だった藤堂さんに偶然会って、その時茜さんが笹倉の非道な手口話してたから、気にしてくれたんじゃないかな」 上手く誤魔化そうとすると、なぜか饒舌になってしまった。 勘の鋭い兄貴を上手く誤魔化す事が出来るかハラハラドキドキだ。 「でも‥本当に良かったわ‥藤堂さんはある意味命の恩人だわね」 ママが胸を撫で下ろすように無事を喜んでくれる。 「そうね‥なんにも知らないあんたが酷い目に合ったかと思ったらここへ来る道中でさえ胸が張り裂けそうだったもの‥」
ああー 兄貴ごめん。 なんにも知らないって訳には‥ 既にどっぷりと‥ なんとその命の恩人様と‥ 過ちっす!
多少どころかかなり後ろめたい気もするが、これがバレれたら‥と考えるだに恐ろしい。 だが運良くこの話はここで打ち切られた。 既に学校も知られているので、登下校時の心配も予想される事になった。 「そこまでするかしら‥」 さすがに兄貴も大袈裟だと思ったようだ。 「するわよっ! 翔ちゃんの話だと学校まで乗り込んできたのよ、それも選任理事として‥。理事の特権でなにかするかも知れないからパパに頼んで手は打ったから」 「へえー 会長さんすごいんだね! だって選任理事って偉いんでしょ?!」 「翔ちゃん、偉いっていっても上には上がいるのよ。文科省の上の人に頼んだって言ってたわ」 「文科省ですか‥それはまたすごいですね」 山上も別世界の話のように感心する。 「それと通学だけど、会長さんが送迎の車の手配するって申し出でくれてるんだけどいいわよね」 「ええっ! いいよそこまでしなくても‥」 俺は慌てて断ろうとすると、 「大丈夫よ!会長さん『紫』の事気に入ってし」 と、ママのこの一言でいとも簡単に断りは却下された。 「兄貴ぃー!」 傍の無言で達観している兄貴に救いを求めたら、 「翔! お願いしよ!」 「えええええっ!」 「会長さんはね‥真理子ママの事となると見栄がなくなるのよ。全然遠慮なんかいらないわよ」 兄貴の真剣な眼差しに俺はそれ以上意義を唱える事が出来なかった。 ハァーと思いっきり大きな溜息をつく。。
真理子ママと会長さん‥って謎だよなぁ〜
そして明日からの笹倉対策の目処が立ち、兄貴と山上さんは帰って行った。 その日の遅くに藤堂から例のティアラの件で一報が入った。 笹倉の連れがフロントに預けていた事にし、支配人から鑑定書付で無事返却できたとの知らせだった。 俺は一応安堵する。
翌朝から登校時間に併せて会長さんが手配してくれた車の送迎が始まった。 深窓の令嬢でもあるまいしと門まではさすがに断り、少し手前で下車した。 だが身構えていたわりに不振人物等の気配はなかった。 ママのマンションに辿り着くと翌朝の登校までは外出禁止令! これには流石に閉口したが笹倉の出方がわからない限り、唯一の防衛対策だからとママから説得された。 あれから3日‥。目立った動きはない。 早めに昼食を済ませ、のんびりしようと屋上に行った。 ふと、授業中に着信があったのを思い出し、携帯を取り出すと履歴を確認した。 静さんだった。 俺は直ぐに折り返した。 「あっ 静さん?」 「翔ちゃん? 今、学校?」 「ああ‥そうだけど‥なに?」 「あ、田舎から桃が送られてきたんだけどね。お裾分けって思ってマンション行ったら‥隣の人が暫らく見てないって‥引っ越したわけじゃないよね?」 「あれ‥ママから聞いてない?」
あれ? 静さん‥聞いてないんだ?
「えっ? なにかあったの?」 「ああ‥笹倉って、『バカンス』で接客した客とのトラブルでさ。ちょっとママのマンションに非難してるんだよ」 「ええー、大丈夫なの?」 「あ、今のとこね‥」 なんで静さんに言ってないんだろ‥兄貴だって‥店で会うのにさ。 あ、もしかして‥あの事気にして‥
笹倉と内通している子がいるかも知れないと言った事だ。 店の子を疑うような真似をママにさせるなんてと自分の失言に情けなくなった。 まして一番疑ってはいけない静さんまで巻き込んで‥。 「そう‥ならいいけど‥ああそれより桃なんだけど、もしかして帰ってくるかと思って、ドアの前に置いてきちゃったのよ‥」 「うん‥わかった。ごめん‥てっきりママから聞いてると思ってから」 「ああ‥いいわよ。ママの事だから言い忘れちゃったんでしょ」 電話の向こうで静さんの溜息が聞こえてきそうだった。 「それよりどうしようか。桃‥傷みやすいから腐ると匂って他の住人に迷惑かけちゃうわよね」 「ああ‥取りに行くから大丈夫だよ」 「でも‥マンション危ないからママの所なんでしょ?‥いいわ‥私が取りに行ってママに言付けるわ」 「いいって、帰りに寄るから」 「‥‥でも」 「大丈夫だって、ちょっと寄り道するだけだから‥それに用事もあったし、友達から借りてたCD返さないといけないんだよ」 「そう‥用事があるなら‥でも気をつけてね‥」 心配性の静さんをどうにか説き伏せて携帯をきる。 下校時間になり校門から少し離れた所に停車中の車に乗り込むと、 「すみません‥ちょっと寄り道したいんですが‥いいですか?」 「‥‥」 一度も口を聞いた事のない年配の運転手は怪訝な顔で訝る。 「直ぐ済みますから‥自宅に忘れものを取りに行きたいんですけど」 「ご自宅には何があっても近づかないように言付かっておりますので‥申し訳ありませんが‥」 業務連絡張りの口調で希望はあえなく却下された。 白髪まじりで端正な顔は、長く会長の運転手を務めていたのか、どこか気品がある。それに見た目通りにかなり堅物の上、忠誠心の塊のようで融通が利きそうにない。 だがこの手の輩は学業が絡むと滅法弱い‥。 以前野々村から『じいちゃんさ、どんな無理難題でも勉強がらみだと直ぐに陥落すんだぜ。チョロいよな』と聞いた事があるのを思い出した。 で、作戦変更!
「あーっ 困ったなぁー 明日学校でいる教材なんですけど‥人から借りる訳にもいかないし‥」 「‥さようですか‥学業に支障がおありになるとおっしゃられるのでしたら‥かしこまりました」 うわぁー マジ? 野々村ホントっ チョロいぜ! 作戦成功!
マンション前は避け、少し離れた所で待機してもらった。 俺はすぐ降り自宅へ向った。 いつもと変わらない風景‥の筈がドアの前に人影がある。 一瞬身構えだが、その横顔は‥見覚えがあった。 「あ、‥茜さん?」 「ああ! 翔ちゃん! よかったぁ〜」 「どうして‥ここに?」 「やだぁ〜 どうしてここって‥だって翔ちゃんに用があるからに決まってるでしょ」
茜さんにも言ってないんだ‥ まあ〜あの静さんさえ知らねぇんだもんな
「ごめん‥課外授業で毎日忙しいんだ。このところ、兄貴も山上さんとこべったりで‥」 茜さんは『紫』が、俺って事知らないんだよね‥。 「あ、そうそう、これ頼まれて─」 そう言って差し出された紙袋を俺は何気に受け取ると、 「一応、中身確認しといてってっ!」 と茜さんが袋を手にしたままの俺に催促する。 「ああ‥うん」 言われるままに中を見ると‥それはこの前のドレスアップしてくれたサロン由美に置いたままの俺の私物だった。私服と靴‥それと大事な携帯。 兄貴やママに言われて、取り戻す事もできず失くしたものとあきらめていた。
なんで‥茜さんが?
俺の訝る顔に気付いて、 「翔ちゃん‥ゆかり‥なんだよね」 「‥っ!」 それは突然だった。 驚愕に目を見張る俺は、次に続く茜さんの言葉に打ちのめされる。 「ごめん〜 早くから店の子に聞いてて知ってたの‥。さすがに薫ちゃんの耳には入れないよう気は使ったのよ‥これでも」
じゃあ〜 笹倉との会話は小芝居だったのか‥ わかってて‥。
「‥‥」 だけど、笹倉に脅されて今はママのマンションにいる事は知らない?
俺は益々頭が混乱して訳が分らなくなってきた。 そんな無言のまま反応を示さない俺に、 「一つ、翔ちゃんに聞きたいことあんだけど‥いいっ?」 どこか深刻な顔で茜さんが聞いてきた。 「え‥‥なに?」 「征哉‥っと‥藤堂と、なにかあった?」 「えっ?」 「ご、ごめんね、変な事聞いて‥征哉がね。『紫』の事色々調べてたみたいだったから‥なんかあるのかなって‥」 「っ‥調べるって」
うそ、藤堂が? まさかだろ?
胸がキュ〜と締め付けられるようで、それでいてどこか甘い余韻を残すような妙な感覚に襲われた。 「ねぇー、どうなの?」 茜さんから強い口調で詰め寄られ、どこか夢心地だった俺は現実に引き戻されたように目を白黒させた。 正直に言えば、『パトロン契約して最後まで犯っちゃいました』って事なんだけど、言える訳がない。 それより茜さんとはどうなのだろうと逆にそっちの方が気になった。 だから俺は思っている事をそのまま口にした。 「俺、言ってる意味わかんないっす‥そういう茜さんは藤堂さんとはどうなんですか?」 「えっ?」 茜さんは反対に俺から問い質され、意外だったのか戸惑いをみせた。 実はこの質問は茜さんにではなく、あの埠頭で藤堂にするつもりだった。 茜さんとの関係を聞いた上でパトロンの話をどうするのか問い質す心算だったのだ。 「兄貴の話じゃ、二人は訳ありだって‥」 と俺は真実を知りたくて釜をかけた。 茜さんは一瞬遠くを見るように目線を泳がせると大きく溜息をついた。 そして重い口から絞り出すように話始めた。
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