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Majikaよ

最終章 その三

 「藤堂!」
 笹倉がその名を叫ぶ。
「笹倉さん! 翔ちゃん返してっ!」
 そう言い募ったのは藤堂といっしょに入ったきたと思われる別の人物からの叫び。

 え‥っ!  この地を這うような声は‥
 ママっ!

「翔ちゃんっ!」
 そう叫ぶなりいきなり駆けつけたあらたな人影。
「あ、兄貴!」
 俺より少し小柄な兄貴は泣きながらママの横に並んでいる。

 やっぱりママに連絡してくれたんだと振り返ると、静さんは意外にも顔面蒼白で慄いていた。

「静っ! お前っ!」
 この状況からして笹倉も真っ先に疑いの目を静さんに向けた。
 だが静さんは誤解だというように頭を振った。
「ち、違う! 秀ちゃん‥私じゃないっ!」
「なにが違うだ! ここを知っているのはお前だけなんだぞ」
 そう笹倉から責められ、静さんはすっかり狼狽して言葉にならない。
 だが堪りかねて笹倉の怒り心頭に水を差すように、
「笹倉さん‥なにか勘違いしてるようですが、ここが分ったのは静からじゃありませんよ」
 と、ママが静さんを庇うように否定した。。
「そんな訳があるかっ! 部外者に分るレベルのセキュリティーではない!」 
「そうですか? それにしては、なんで固定電話なんて置いてあるんですか?」
 藤堂がすかさず高セキュリティーだという割りに間の抜けたその盲点を指摘した。
「‥‥っ!」 
 笹倉は一瞬、苦渋の形相をするものの、すぐに俺が連絡する事は想定済みだと言わんばかりに否定した。
「こちらから電話をしてもいいように‥‥携帯のアドレスにあった目ぼしい番号は自宅以外は全て発信規制をかけてある」
 笹倉のその話に何かあると思っていた電話に予想以上の仕掛けがしてあった事実に驚嘆した。

 すげぇー、そこまで用意周到にしてあったんだ。
 やっぱ、罠だったんだな。
 俺を嵌めていたぶる心算だったのか‥‥。

 一瞬ぞわっと鳥肌がたつ。 
 それでは唯一繋がった静さんは規制外ということか‥と妙に納得した。
「残念だが、登録してない番号があったんだよ」
 そう応えると藤堂は胸ポケットから携帯を取り出す。
「ここに着信履歴が残っててね」
「着信履歴って‥‥俺、二コールで切ったし‥それにそれ秘書のものじゃ─」
 俺は唯一連絡した携帯の事を思い出し思わず口にした。
「翔君‥この携帯は私専用でね。この番号を知っているのはこの世で二人‥私の第一秘書と紫だけだ」
「秘書意外で身に覚えのない固定番号となれば、君しかいない」
「くそっ!」
 笹倉は予想外の展開に思わず悪態をついた。。
「ママ‥‥」
 驚愕に固まっていた静さんだが、力なくそう呟いた。
「静‥やはりそうだったのね。悪いけどあんたの事、前から疑っていたのよ‥色々腑に落ちない事があったから」
 ママは静さんに真意を話始めた。
「‥‥?」
 静さんは何の事か分らず茫然とする。
「笹倉と藤堂さんが揉めた件、揉み消したでしょ‥ボーイには私に報告しておくからなにも心配ないと口止めの裏工作もしたわよね」
「あ‥っ!」
 静さんは身に覚えのある事実を突き付けられたからか愕然とした。
「それと‥田舎に帰るからとうちを辞めた子がなぜか香港の闇ルートで高級コールボーイをしているって人伝に聞いて、色々調べてたのよ」
「‥‥っ!」
「田舎に帰ったものだと思っていたら‥親御さんから本人と連絡がつかなくなったって私宛に手紙が届いたの」
「ママ‥それってもしかして桔梗(ききょう)ちゃんの事?」
 兄貴も思い当たる子がいたのか口を挟む。
「そう‥‥可哀想に香港の闇ルートで薬付けにされて、顧客の中に知人がいたのでどうにか買い戻してもらって、今現地の病院で静養させてるわ」
「この前茜ちゃんに香港まで見舞いに行ってもらったのよ‥‥それで少し正気が戻る事もあるっていうんで、どうしてこうなったのか茜ちゃんに聞いてもらったの」
「薫に頼んでも良かったんだけど‥‥静が絡んでるのは薄々調べがついていたから‥」
「で、桔梗ちゃんはなんて!」
「最後に静の家に呼ばれて‥気が付いたら船舶の中だったそうよ」
「‥‥それって!」と兄貴は絶句した。
「ママ‥‥」
 静さんは何か言いたそうにするが、躊躇うように押し黙った。、
「なんで‥‥こんな事をっ! 静! あんたあんなに可愛がってたじゃない!」
「茜ちゃんの話だと‥‥香港に着く前に船舶の中で船員達から散々レイプされて、付いた先でも薬漬けでっ! 聞くに堪えがたい話だったそうよ!」

 ママのその話だけで桔梗さんの香港での地獄の日々が想像できた。

「うっ! ‥親御さんになんていって謝ったらい‥いのか‥‥うっ」
 ママは嗚咽を漏らし、その先の言葉を断念した。
「ママ‥‥ママっ‥‥」
 静さんは、許しを請う様にその名を連呼した。
「静っ!」
 笹倉は憔悴しきった静さんを叱責した。
 そして庇うように、
「全部私が指示した事だ。静は私に逆らう事は出来ないからな」
 非はさも自分にあるように告げた。
「秀ちゃんっ!」
「笹倉の指示だとしても‥‥同僚を平気で売るなんて‥やっぱり許せないわっ!」
 ママの怒りは強固で情状酌量の余地はないと言い放った。
「静ちゃん‥‥」
 兄貴は友人に裏切られた事実に悲壮な面持ちで言葉を詰まらせる。
「とにかく‥観念するんだな。まもなく警察も駆けつける」
 そして静観していた藤堂が印籠を渡すようにそう告げた。
 
 やがて藤堂の言う通り、遠くからサイレンの音が近づいてきた。
「‥っ!」
「秀ちゃん! 逃げて!」
 静さんは、すぐそばの笹倉の胸倉をいきなり掴むと逃亡するよう促す。
「静‥‥」
 笹倉は静さんの必死な形相に目を見張り、たじろいだ。
「後の事は心配いらないから‥今まで嫌な事全部秀ちゃんに押し付けてきたけど‥」
「なっ!」
「今度は逃げないでちゃんとするから‥秀ちゃん! お願い逃げて!」
「静っ! なに考えてるんだっ! 置いていけるわけないだろっ!」
「もうっ! 翔ちゃんの事はあきらめてっ!」
「ちがっ!」
 その言葉を遮るように入り口付近が急に騒がしくなった。

「ち、間に合わなかったか」
 そう舌打ちしたのは藤堂に羽交い絞めされていたサングラスの男だった。
 どうやら男も助っ人の手下を呼び寄せていたらしい。
 入り口付近は警官隊とヤクザの激突で騒然となっているようだ。
 サングラスの男はその騒ぎに乗じて難なく身を翻し藤堂の戒めから逃れる。
 喧嘩慣れしている奴の動きは俊敏であっという間に俺の背後に回ると、
「坊主‥悪いな」
 小さく囁くと‥俺を後ろ手に捕らえた。
 そして上着の内ポケットから取り出したアーミーナイフを俺の喉元にあてがう。
「‥‥っ!」
 藤堂の仕舞ったという顔と、ママの驚愕に青ざめる顔。
 そして兄貴の絶叫が倉庫の入り口の喧騒と混ざり合って現場を混乱させた。

「手を出すなよ! 坊主の頚動脈がざっくりいけば間違いなくこの場で出血死だぜ」
 不敵に笑うと奴は俺の首すじにナイフを付きたてたまま、笹倉と静さんを伴って入り口へとゆっくり移動する。

 その流れに促されるように俺たちの後を藤堂達が固唾を呑んで追ってくる。
 早朝の薄暗い靄の中、肌寒い空気に身体が震えた。
 入り口付近は暴力団抗争並みに警官隊とで騒然としていた。
 その喧騒の中を掻い潜るように人質の俺を引き連れて岸壁まで移動する。
 そこには既に用意されていたモーターボートが繋がっていた。
 どうやら出港準備の整った築港内の船舶まで移動するようだ。
 足元をふらつかせながら乗り込むと、
「笹倉さん、船舶免許もってますよね」
 男は俺を戒めたまま、笹倉に操舵席を目線で促がす。
「ああ‥」
「俺‥ボートなんて知らねぇんでお願いできますか?」
「わかった!」
 そういって操舵席につくと直ぐにエンジン音をさせる。
 静さんはさっきから唇を震わせて、言われるままにボートの座席に手を握り締めたまま座り込んだ。

 結局‥‥俺 連れて行かれんのか‥‥。

 こんなに大騒ぎになってるのに、下肢の痛みやら薬の副作用なんかで半ば朦朧として切羽詰った危機感が沸いてこない。
 岸壁にはこちらの様子を窺うように立ち竦む見知った顔。

 兄貴は顔面蒼白で‥‥気が付かなかったが傍で山上さんが支えていた。
 山上さんがいてくれてよかったと安堵した。
 ママの悲壮感漂う顔‥‥ごめん。俺が馬鹿だからこんな事になって‥‥。

 そして‥‥
 藤堂さん‥‥また来てくれたんだ。
 俺を探し当ててくれてありがとう。 なんか嬉しい
 俺の頬を雫が零れ落ちる。
 あれ‥‥。
 俺‥‥馬鹿だなぁ〜 今頃分っちゃったよ。
 あんたのこと好き‥めっちゃ好きだ。

 だがボートが岸壁を離れて直ぐだった。
 サングラスの男は首に充てていたナイフを仕舞うと俺の顎を掴み、突然ディープな口づけを仕掛けてきた。
「んん‥っ」
 だがすぐに唇は解放された。
 後ろ向きの笹倉の目には入らないとはいえ、なにを考えてるんだと抗議する前に、
「おーい、坊主返すぜぇー 助けにこないと溺れ死ぬぞ」
 と岸壁の藤堂達に聞こえるように大声でたっける。
「さっきの礼だ。無事でいろよ」
 と耳元で囁かれた。
 それから信じられない光景が俺の身に起きた。

 体がふわりと宙を飛び、薄暗い海面が目の前に飛び込んできたかと思ったら、身も凍る感覚に一気に呑みこまれた。
 刺す様な痛さは一瞬の事で、すぐに海面に放り込まれたのだとわかった。
 海面はまだ暗く、自分がどっちの方向に向いているのかさえ分らない。
 おまけに手錠されているのだから、息継ぎの為必死に海面に浮上しようともがくが着ている着衣が絡みついて上手くいかない。
 それでも手錠つきの指先で必死にもがく。
 足をバタつかせるがそれを妨害するように絡みつく衣服。
 
 くそっ! マジかよっ! 

 こんな時になんだが、服を着たままでのプールの授業があった事がなぜか脳裏を過る。
 こんな事なら真面目に授業を聞いとけば良かったと今更ながら後悔した。
 冷静になれば回避できる事でも焦ると酸素の保有時間さえ短縮されるようだ。
 
 嘘だろッ! マジ‥く‥っ、苦しいっ!
 誰かっ! 

「ぐふっ‥ごふっ」
 意識がどんどん遠くなっていく。
「‥‥っ!」
 急に誰かに手首をつかまれ引っ張られる。

 きつく抱き寄せられた?! これって天国からの迎え? 
 あっ‥‥意識が‥close。



 目が覚めると、真っ白い‥‥天上?
「翔!」
「翔ちゃん!」
 
 兄貴‥‥ママ‥‥山上さんも‥‥。
 もしかして‥‥助かったのかな?

 腕を動かそうとして何かに阻まれている事に気が付く。
 腕の先から見える管を辿ると‥どうやら点滴中らしい。
「翔ちゃん‥まだ治療中だから」
 挙動不振な様子で辺りを見回す俺にママが安静にするよう促した。
「俺、生きてんだ‥‥」
 やっと腕の痛みで実感する事が出来た。
 俺の一言に兄貴は山上さんの胸の中で咽び泣いた。
「俺‥確か溺れたんだよね‥‥」
「ええ‥溺れそうなところを藤堂さんに助けられて、でもクスリの副作用で意識が中々戻らなくてね」
「ああ‥‥んで、病院なんだ」
 腕の点滴やここが病院だという事もやっと認識できた。
 まだ朦朧としながらもあの後の事が気になって、
「笹倉は? 静さんは?」
「笹倉と静は保安庁の包囲網をまんまと突破して国外へ逃亡したようよ。香港のシンジケート絡みだから今直ぐ動けないらしいんだけど、近く国外逃亡で国際警察に指名手配されるそうよ」
 とその後のいきさつを全てママが教えてくれた。
 兄貴はさっきから山上の腕の中で目元を腫らしまま、まだ嗚咽が止まらないようだ。
 あの気丈の兄貴をこんなに追い詰めてしまったのだと胸が痛む。
「俺‥入院するの?」
「ええ‥明日精密検査して、別段異常がなければ明後日には退院だそうよ」
「そうなんだ‥‥」
 とりあえず大事にならずに済んで良かったと安堵する。
 そう言えば‥‥身動き出来ない俺は目線で辺りを見回して、
「藤堂‥さんは?」
「ああ‥命の恩人は警察に事情説明に行って貰ったの。その後急ぎの仕事があるとかで用事が済めば様子を見にこられるそうよ」
「そうなんだ‥‥」
 あんまり逢いたくないけど‥また助けてもらったんだからお礼を言わないといけない。
 笹倉との事はもう既に皆知っているのだろうか。
 少なくともここにいる身内には医者から報告は聞いているだろう。どこに薬を使われたかも‥‥。
 兄貴があんなに目を腫らしているところを見ても多分事実を知ったからだろう。
 『あんただけは普通の恋愛をして、私に甥ッ子か姪ッ子の顔を見せて欲しいの‥翔ちゃんの子だったらきっと可愛いわよ』が口癖だった。

 俺‥‥これでいよいよ目覚めちゃたってことないよな‥‥。
 ちょっ‥自信ないな。 
 でも発動するのは今んとこ藤堂限定だから‥‥。
 だけど、あっちは既に売約済みだし‥‥まだ路線戻せるよな。

「翔ちゃん‥ここ完全看護でね。私達そろそろ面会時間終了で帰らなくちゃいけないのよ‥‥」
「ママ! 私、付き添うから!」
 泣きっぱなしだった兄貴が慌てて口にした。
「あぁ‥気持ちは分るけど‥薫のそんな陰気臭い顔で看護されてもね」
「そ、そんな!」
「兄貴! いいって! 今日は山上さんと帰って身体休めろよ! でないと俺もオチオチ寝てらんねぇから」
「そうだよ。薫! 今無理して君まで倒れたらそれこそ翔君の心痛が増すことになるよ」
「わ、わかったわよっ! 二人がかりでもうっ!」
 俺も山上さんも思わず苦笑する。
 穏やかな空気になったところで、丁度検温に訪れた看護士さんを機に兄貴達は病室を後にした。

 俺は静かになった病室の天上をぼんやり眺めて、笹倉と静さんの事に思いを馳せた。
 あの二人これからどうするのだろう。
 香港にも商売の拠点があるようだから生活には困らないだろうけど‥。
 
 あの時、
 笹倉が途中まで口にした一言。
 おいて行ける訳がない‥って、静さん俺の事だと思ったみたいだけど‥‥。
 思うにあれは静さんの事だったと思う。
 根拠はないけど‥‥。
 笹倉はあんなに静さんの事罵倒していても、ことごとく庇ってた。
 多分‥前者が建前で、後者が本音じゃないだろうか。
 その真意を今は確かめる事も出来ないが‥‥。

 看護士が消灯を告げてきた。
 病室が真っ暗になると外の廊下の灯りがドアの小さな明り取りの窓から差込み、部屋の中をぼんやり照らす。
 さっきの検温の時看護士さんからもらった薬はどうやら眠剤だったようで直ぐに眠りが襲ってきた。

 まだ浅い眠りの中、
 柔かい感覚が唇に触れ俺は僅かに覚醒する。
「ぁん‥」
「気が付いたか?」
 まだ夢現の中で藤堂の顔が目の前にあった。

 もしかしてこれって‥‥夢?
 そうだよな‥だって面会時間終わってるし。

「無事でよかった‥」
「うん‥‥ありがと」
「ん‥?」
「いっつも助けてくれるよな‥‥あんた」
「ああ‥‥」
「なんで?」
「なんでだろうな‥‥気になってしょうがないから‥かな」
「なんだよぉ、よくわかんないのかよぉ‥‥」
「それって‥‥」
 俺は言いかけて何故か押し黙った。
「それって‥なんだ?」と藤堂はその先を促した。
「やっぱ変だよ‥‥それにあんたには茜さんがいるじゃん」
「茜?」
 藤堂は少し驚いた声音で問い返した。
「そうだよ‥‥茜さん‥好きなんだろ?」
「‥‥」
 返事をしない藤堂に苛ついて、
「なんだよ! それもわかんねぇっていうんじゃないよなっ!」と罵倒する。
「茜は‥‥大切な従兄弟だ」
「たったそれだけで‥‥何度も抱けねぇって‥好きにきまってんじゃん」
「え‥っ!」
 藤堂は驚いたように目を見開く。
「茜から聞いたのか?」
「ああ‥‥茜さん‥あんたの事ずーと好きだってさ」
「‥‥そうか」
「あんた‥‥気が付いてたんだろっ? 色々面倒な事あんだろうけど‥気持ち誤魔化さないで正直になれよなっ!」
「正直か‥‥」
「そうだよ‥‥でないといろんな人が傷つくじゃん」
「翔‥もか?」
「お、俺は‥‥」
「傷ついたのか?」
「‥‥」
「黙秘か‥‥」

 僅かに藤堂の口角が上がるのが見えた‥‥。
 夢の中だと俺も素直に話せるじゃん
 すげぇー

「女じゃあるまいし 傷つくかよっ!」
「そうか‥‥」
 どこか負け惜しみのようなセリフに藤堂は呟くように口にした。

 その会話が最後で、スーと気配が消えた。
 俺は混沌としながら夢の中を彷徨い、
「好き」の一言がいえないもどかしさからか、最後のシーンがリフレーンして同じフレーズを繰り返すように浅い眠りを貪った。


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