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Majikaよ

第一章 その五

 どうにか無事辿り着いたマンションには既に山上の姿はなかった。
 結局兄貴の消息も分からないまま、真っ暗い部屋の灯りをつけるとコートやバックを居間のソファーに投げつけそのまま崩れるように腰を降ろした。
 ドレスの裾も気にせず足を開きソファーにもたれ掛かると疲れがどっと押し寄せてきた。
「あっ」
 ママに連絡するのを思い出し、バックの中の携帯を取り出すと早速掛けてみた。
 余程気にかけて待機していたのかママはワンコールで出た。
「翔ちゃん! 今どこ?」
「家だよ」
「嘘‥本当?」
 信じられないとママの声が裏返る。
「ああ‥なんか仕事って言ってた!」
「へぇ〜 そうなの」
 意外だと言わんばかりの少し間延びするような返事が返る。
「そうそう家まで送らせてないわよね?!」
「ああ、適当な所で降ろしてもらってタクシーで帰ったよ」
「取り越し苦労だった‥かしら」
 ママの呟きはそのまま自宅に直行したのが余程不思議だったようだ。
 本当は決して無事とは言い難いが‥。
「まっ、無事でなによりだわ。翔ちゃん今日は本当にご苦労さま。明日も学校あるのにゴメンなさいね」
「いいよ。明日いったら土日休みだし」
「悪いわねぇ〜 あっ! それと薫から連絡あったら帰ってくるように言ってね。それから今日の事は‥」
「分かってるって! 兄貴には絶対言わないから」

 つーか、言えないっしょ!

「やっぱり翔ちゃんね。ありがと!」
「それじゃあー、明日は学校遅れないようにちゃんと起きるのよ! おやすみ」
「ん‥おやすみなさい」
 取り合えず、さっきの信じられない出来事はママには報告しなかった。
 っていうか報告出来なかった。そんな大した事ではないと自分に言い聞かせるように忘れる事にした。
 自分の短慮が招いたお馬鹿な出来事だし、言えば恥の上塗りになる。
 
 事故! 単なる事故!

 それに今の状態はあの一連の出来事を明確に思い出せないくらい心身ともに疲れきっていた。
 俺はすぐにシャワーを浴びるとそのままベッドへ沈没した。

 翌朝、携帯のアラームでどうにか目覚めた俺は近くのコンビニで朝食と昼の弁当を買って登校した。
 誰もいない学校の準備室で、朝食用のサンドイッチと牛乳を口にした。
 一気に飲み込んだため気管に入り思わず咽かえる。
 だらしなく口元に垂れる牛乳を左手の甲で拭った。
 その何気ない一連の動作に突如、昨夜の忘れかけていた出来事がフラッシュバックした。

 淫猥なまでの口づけ、滴る唾液、それを舐め取る舌ざわり。
 一気に蘇えって思わずゾワッと身震いする。

 俺‥男とキスしたんだよなぁ〜
 
 あの時の感覚を思い出すように口元を指でなぞった。
 奴の巧みな口づけに抗う事もできず、煽られた昨夜の出来事。
 思わず下肢のあたりがゾクゾクし、悪寒のような感覚に襲われる。
 勿論、ファーストキスではないが‥男性経験からだと初体験だ!
 店で会ったときはヘテロな感じで、男になんて全く興味がないように見えた。
 ヘルプについたお姉様達にはゾンザイな態度だったし、兄貴達の職業を蔑視するような発言もしてたじゃないか!
 なのに俺とキスとはふざけた野郎だ!
 おまけに俺のものを平気で口に‥っ!
 
 うわっぁぁあああ! 
 
 ズキっと疼く股間に思わず手をやった。
 どう見てもノンケとしか思えない男の矛盾した行動は、ホモセクシャルを否定する輩の嫌がらせかも知れない!そう思うと余計に腹が立った。
 
 けどママが言ったように世の中にはそんなふざけた野郎もいるってことなんだよな!
 
 男同士のキスと言えば‥。
 兄貴と現在の恋人の山上とのキスシーンは一度も目にしたことがない。
 まあー俺の教育上良くないというので一度もマンションに男を連れ込んだこともないが。
 だが中には強引なのもいて、送り狼よろしく深夜のマンション前で濃厚なキスに及ぶ輩もいた。
 結構見栄えのいい奴で、何度となく目にした事がある。
 あの通り美人の兄貴だと抱き合っていてもそれなりに絵になり男同士だと分かっていても不思議と違和感はなかったなあー。
 なぜか昨夜の自分に置き換えて想像してみた‥‥。

 うぇ〜  死ねる!

 想像の域を超えている!
 当分奴の後遺症で苦しみそうだと思わず愚痴る。
 そして最後のサンドイッチを口に放り込み、始業チャイムの音と共に準備室を後にした。
 
 部活を追え、部室で着替えていると親友の野々宮からカラオケに誘われる。。
 だが俺は兄貴の事が気がかりで早く帰宅したくて断った。
「ええー、お前こないと不味いんだよぉ〜」
「またかよ!」
 毎度の事ながらと呆れた口調になる。
「今日はなんと愛明学院とセッティングしてんだぞ!」
「‥‥」
「なぁ〜男バスの板倉翔が参加するってフレコミなんだからさぁ〜」
「しつけぇよ!」
 俺のマジギレに恐れをなして野々宮は思わず後退る。
 多少の過剰反応には気が引けたが、こうでも言わないと毎度当てにされては迷惑だ!
 野々宮は決して悪気はないのだが、とにかく合コンマニアなのだ。
 前に卒業するまでに都内私立女子高・全制覇するのが夢だとほざいていた気がする。
 実際俺が参加すると相手の女子高生も二つ返事で集まってくるらしい。
 こっちはその気がないっていうのに、やたらカラオケとかでも体を摩り付けてくる。
 まぁー、元々男目当てで来てるんだから仕様がないと言えば仕様がないが!

 ピーチク、パーチク マジうざい! 

 だが来月で三年になる。野々宮もさすがに受験体勢でそんな事も言っていられないんだろう。
「後、何校で制覇なんだ?」
「‥四校」
 すっかり意気消沈している奴は消え入りそうな声音で告げた。
「四校って‥お前っ! 百校近くあんだろっ?!」
「まあ‥1年の時から地道に‥」
 俺の呆れに近い羨望の眼差しに野々宮は照れくさそうに頭を掻きながら応えた。

 ずげっ! こいつマジすごくない?! 

「じゃあ残り四校協力してやっから、今日だけは勘弁しろっ!」
「マジで?!」
「ああ‥マジマジ」
 奴は納得したのか分かったと大きく頷いた。
 俺は取敢えず今日の誘いを逃れた事に安堵しながら制服に着替える。
「翔‥」
 と野々宮の呼びかけに何事かと振り返ると奴の驚愕する顔が飛び込んできた。
「翔っ! それって!」
 野々宮の凝視している視線の先を辿れば‥どうやら俺の内股の辺り。
 普段は決して見えないはずの所なのにズボンを穿くのに足を上げた瞬間、派手な鬱血が目に止まったようだ。
「いや‥これは‥」
 思い切り狼狽えてしどろもどろの対応をしていると、
「なんだぁー 彼女いるんじゃん! それじゃあ合コンは不味いよな」と勝手に憶測する野々宮に、
「いや!違うって!」と前面否定する。
「別に隠さなくていいのに‥そうか!そうか!」
 野々宮は俺の釈明も無視して勝手に解釈すると完結しようとしていた。
「だからこれはそんなんじゃなくて!」
「でも‥お前の彼女って!」
 野々宮はそう告げると意味深にほくそ笑む。
「な、なんだよ!」
 と俺は不機嫌にその先を促した。
 すると奴は俺の鬱血を指差し、
「どんな子なんだよぉ〜マジすげぇよな。女子からキ・ス・マークなんて〜それもそんなとこに」
 奴の冷やかしに思わず絶句した。

 いや違うから! ほんと‥すっげぇ誤解だしっ! 

「もしかして‥年上か? それもかなり上だったりして」
 当たらずといえども遠からずの答えに俺は一瞬ビクつく。
 野々宮は俺の反応で確信をついたと思い込むと益々明後日の方へと話が展開していった。
「そうかそうか! 今までの子とは違ったタイプなんだな! それもかなり嵌ってるだろ?!」
「嵌るって‥なんで?!」
 なんでそう思うのかとそこだけ尋ねてた。。
「だってお前、今まで付き合ってる子いても合コン断らなかっただろ。俺さぁ〜こっちから誘っててなんなんだけど‥さすがに彼女いんのに不味いよなぁ〜と常日頃からそう思ってたんだよ!」

 の・の・み・やっ! そう思ってなんら誘うなよ! と思わず突っ込みをいれたくなった。

「でも‥お前いつもあっさりOKだろっ! だからあんま本気じゃないのかなぁ〜って思ってるとやっぱすぐ別れてたじゃん!」
「‥そうかな」
 言われてみれば確かにと妙に納得する。
 声をかけてくるのはいつも女の子の方からだ。自分から積極的になった事は一度もない。
 何人目かの子に別れ際、恋愛不感症と罵られた事もある。
 兄貴が恋愛体質で、次から次へと相手が変わりその度に喧嘩別れで大騒ぎとなり、恋愛そのものにあまり夢を持たなくなった。
 好きになってもその気持ちは永遠ではなくいつか終焉がくる。結末が分かっている物語のプロセスは面白くない。
 付き合っていくその過程が楽しいのだろうが、いつか破局なのだと思うとそういう冷めた気分で相手と向き合ってしまう。。
 呆れるほどの数多の恋愛を繰り返す兄貴はその性癖から狭い領域でのパートナー探しで、取り合えず好みを対象にしてきたせいで、何度も失敗している。
 失恋して落ち込む姿を見るのは正直辛い。
 もう二度と恋愛なんてっと言ってるはしから何度も同じ過ちを繰る返す。
 そういう実態を目にして恋愛に夢や希望を持てるはずもない。
 でも、いつかは俺もそれを凌駕するような相手にめぐり会えるのだろうか‥。

 そんな事を思いを巡らしながら黙々と着替えていると、野々村がさっきの話の続きを口にした。
「今度は上手くいくといいな?!」
「あっ!それとさっきの残り四つの合コンの話だけど。もういいわ!」
 と、野々村はあっさり約束を反故にした。
「えっ! いいのか?」
「うん! もう高校生活も今年で最後だし‥邪魔しちゃ悪いだろっ?! 今まで散々迷惑かけちゃったもんな」
「いや‥・迷惑なんて思ってないから‥・」
 野々宮の早合点からくる誤解なんだが、面倒な事が回避できたという点ではラッキーだったかも知れない。
 なのでわざわざ訂正して墓穴を掘る事もない。
「翔! ありがとなっ」
 俺は苦笑しながら、このキスマークの相手が実は男だという事実に一人苦笑した。
 すっかり着替えを済ませるとスポーツバックにユニホームを突っ込み、バッシュを履き替えロッカーに乱暴に放り込む。
「んじゃ! 急ぐから」
 と片手を振って部室を後にした。

 今朝と変わらない閑散としたマンションに帰宅すると突然、居間の電話がけたたましく鳴り響いた。
 電話の液晶画面には『バカンス』と店名が掲示していた。
 俺は慌てて受話器を取り、
「はい、板倉でー」
 いい終わらないうちにママの声が遮る。
「翔ちゃん!帰ったのね」
「ああ‥今帰ったとこ」
 ママの尋常ではない声音に緊張する。
「ちょっと聞くんだけど‥昨日藤堂さんと別れ際‥なんか約束した?」
「えっ?!‥約束って‥」
 昨日の今日だ! 覚えがない訳がない。
『明日は気の効いた所へ案内しよう』と言ってたような気がする。
 だが、約束と言うよりそれこそ水商売にはつきものの別れ際の常套句だろう!と思っていた。
「翔ちゃん! 約束しちゃったのぉ?!」
「あっ、いや‥約束っていうか。別れ際に明日またねって感じ‥なんだけど」
 どうにか昨日の流れからそうなったのだと言い訳する。
 例の唯一ママにも内緒にしている藤堂との関係を暴露する訳にはいかないからだ。
「うーん」
 電話の向こうで俺のごまかしに頭を痛めてるママの唸り声が尾を引く。
「なんて言ってきたんだよ 藤堂の奴!」
 痺れを切らして俺から真相を尋ねた。
「あぁ‥藤堂さんがね、紫を今日どこかに連れて行く約束したからって‥電話してきたのは会長なんだけどね」
「それで会長と一緒に今日もお店に来るって連絡があったのよ!」
「おまけに会長がね‥あんた達が思ったより早く進展してるんでご満悦みたいなのよ」
「っ!進展って!」

 どこがっ! 後退の間違いだろっ! ってか最初っから最後までなんもないしっ!
 
「ねぇ〜 翔ちゃん‥まさかあんた、藤堂さんとなんかあったんじゃないでしょうね」
 確信を付かれて思わず鼓動が跳ねる。動揺からかドキドキと動悸が止まらない。
「な、なんもねぇよ。ある訳ないじゃん!」とキッパリ否定した。
 話題を逸らそうと藤堂との別れ際の話をした。
「あっ、そうだ! 車降りる直前、今日どこにも連れて行けなかったから今度埋め合わせするような事言われた‥だけど社交辞令だと思ってあんま本気にしなかったんだけど‥なんか不味かったかな?!」
「あら‥そうなの‥よくある別れ際の誘い文句だわね。フーッ」
 電話越しにでも分かるママの大きな溜息がこの事態に困窮していると感じさせた。
「俺、今日も店出るよ」
 全て俺が招いた結果なんだからと決意する。
「えっ? でも‥」と、遠慮がちにママが言い淀む。
「それに兄貴まだ帰ってこないしさ」
「でも‥やっぱり悪いわ」
 
 ママ‥『悪いわ』っていいながら、なんか声が弾んで聞こえるんっすけど‥俺のカンチ?!
 それに‥俺、もしかして思いっきし墓穴掘ってねぇ?‥
 
「いいって!約束しちゃったんだし! 迷惑かけられないよ」
 後悔しながら安請負した。
「‥‥ごめんね 翔ちゃん」
 先ほどとは打って変わったママの神妙な声が俺の揺らいでいた決意を固める。
 
 藤堂‥二度と会わない筈だったのに‥。
 今度こそ隙を見せず、次の約束もせず、綺麗さっぱりお終いにしてやる!
 奴とのリベンジに闘士が沸々と湧いてきた。


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