俺はママの寄越したタクシーに乗り込むと開店準備中の店へと急いだ。 昨夜のコート、バック、ハイヒールも持参したが、さすがに深紅のドレスはシミがあるため忘れた事にした。 案の定開店前だというのにママは店の前で俺の来るのを今か今かと待ち望んでいたようだ。 「翔ちゃん!」 「ママ、ごめん‥」 俺は面倒なことになった事を真先に謝った。 「ううん、次の約束をとるのはこの世界じゃ常識だもの‥翔ちゃんは知らなかったんだからしょうがないわよ」 「ただ、またこんな事に巻き込んじゃって‥」 「いいよ、自分で招いた種だから‥」 ママは済まなさそうに肩に手をやり店の通用口へと促す。
例の控え室へ誘導されるとそこには静さんが準備万端で待機していた。 昨夜は深紅のサテンのドレスだったが、今夜は黒のチャイナ服だ。深い位置のスリットはさすがに恥ずかしい。 「ママぁぁあ〜」 スリットから見える生足を思わず手で隠すようにして戸惑いを口にする。 「う〜ん、翔ちゃんは目鼻立ちがはっきりしてるから、どうしてもこんな派手な原色系が一番似合うのよねぇ」 「っんじゃなくて! この切れ目どうにかなんねぇーの?」 「ああ‥スリットね。でもチャイナだから‥足がほっそり長くて綺麗だし、全然OKよ!」
そういう問題かよ! 足っていうよりパンツ見えて感じゃねぇ‥
俺はママの全然問題にしてない様子にこれ以上の抵抗は無駄と諦めた。 同じく横で今日も俺の支度を手伝ってくれてる静さんも納得顔で頷く。 2対1では勝ち目はない。 「でもストッキングどうしても嫌?!」 「ぜってぇー! 嫌!」 流石にこれだけは拒否する。昨夜はロングドレスだったのでその儘で済ませて貰ったが、今日は生足もあらわになるため着用するよう言われて試しにはいてみたが、締め付ける感触といい、ガーターをつけるとスリットから丸見えでかえってエロくなる。 そこがそそるのだと過激な事を言われたのだが、エロくなる必要性は全くない。 「でも生足だと‥」 静さんは何かに拘るように言いよどむ。 「まあ〜藤堂さんは紳士的な方だから、お触りするような心配はないわよ」 ママが静さんの心配を払拭するように言い募る。 「えっ‥」 そうだった‥。 すっかり失念していたが昨夜も結局、生足さらけ出した挙げ句、お触りなんて生優しいもんじゃない事までされたんだった。 「やっぱ‥はくよ」 俺は渋々提案をのんだ。これ以上奴の好きにさせる訳にはいかない。 少しでも抵抗できる防衛措置をしておく必要があったからだ。 もう素足をさらさないぞ! 二度と触らせるもんか!
実際着用してみるとやっぱり紫のフリフリのガーターがスリットから丸見えで妙に色っぽい‥。 これって防衛措置どころか反対に煽ってないかと思わず自分に突っ込む。 ヘアースタイルは昨夜と同じで、イヤリングは小さな銀の玉にスダレのように三連の鎖が長く垂れたもの。殆ど支度が出来たころに、 「ママ、そろそろ開店です」 控え室にマネージャーが呼びに来た。 「翔ちゃんは、会長や藤堂さんがみえるまでここで待機していて、他の客の相手はしなくていいから」 「うん」 接客しろと言われても無理な話だし、俺は一人控え室で待つことになった。 店内は早々に来客があったようで一気に賑やかになる。 手持ち無沙汰の俺は、テーブルの上の雑誌を手に取る。 パラパラ何気に捲るとある紙面で手が止まった。 一面を占めたグラビア写真、そこに写る男が昨夜不敵な嘲笑を残していった藤堂だったからだ。 『藤堂征哉 三十一歳 TDグループの若きプリンス もっか独身!』 記事には経歴や家族構成が事細かく記載されていた。 日本でも難関で有名な大学卒の肩書きと海外の留学先は言わずと知れたケンブリッジ、親族の一流企業の役員名等セレブ記事満載である。 ふと、家族構成を目にして 「へえー、長男なんだ‥」と呟く。 なぜかその事にこだわる自分に思わず苦笑した。 相手がいままで一人息子や長男で結局破局続きのそんな兄貴が原因で変に予防線として身についてしまっている。 だから山上さんにもつい家族構成を確認するような事をした。 しかし兄貴ならいざ知らずなんで俺が気にする必要がある?! どうかしていると苦笑いした。
暫らくするとマネージャーが呼びに来る。どうやら奴がお出ましのようだ! 俺は慣れないストッキングと足にまとわりつくチャイナドレスに気遣いながら前を歩くマネージャーについて行く。 昨夜と同じ席で会長と藤堂が待ち構えていた。 「紫です。今日はご指名頂きましてありがとうございます」 セリフはしっかり静さんに指導された通り挨拶することができた。 「おおっ! 目の保養じゃのぉ〜 チャイナドレスがよう似合っとるぞ。藤堂もそう思うじゃろっ」 「ええ‥そう、ですね」 言い淀む奴の声音に、
おべんちゃら言うのも大変だよな‥。調子合わせてんじゃねぇよ! バーカ!
早速、心の中で毒づく。 「紫、藤堂さんの隣に‥」 ママに指示され、 「はい! ママ‥」 俺は教えられたとおりニコッと笑うとお互い目線を合わす事もないまま藤堂の横に座る。 座ると益々スリットがきわどくなった。 だが変に意識して手を充てたりしようものなら、また奴に侮られると開き直る。 「ママ、今日も薫は休みかのぉ」 「あら、会長さんはそんなに薫にご執心なの?」 ママの恨めしそうな顔に、 「誤解せんでくれっ ワシにはマリだけじゃて‥藤堂がの、どうしてもこの店のナンバーワンに逢いたいというもんでな」 「えっ?!」 意外な会長のセリフにママと俺は思わず顔を見合せた。 俺に会いにきたんじゃないんだ‥‥。 その事実になぜか気落ちしたというか‥プライドがへし折れたというか‥。
プライドって‥違くね? 何に対してのプライドだ。 単に俺との約束にかこつけて昨日逢えなかった兄貴目当てに来店してきただけと分かり、けんかを買うつもりで乗り込んできた俺はとんだ肩透かしに拍子抜けしただけの事だ。 それより兄貴目当てで連日通うなんて、昨夜はゲイに批判的でいかにもヘテロみたいな態度取ってたくせに!と心の中で毒づいた。 もしかして昨夜の不遜な態度も目当ての兄貴がいなかったから面白くなくて‥それで生意気な俺に腹いせ紛れににあんな事したんじゃ‥。
さいってい! ろくでもない‥男だ! でも‥ぶち切れそうなくらい頭にきてるのに、妙に締め付けられるように胸が苦しいのはなんでだろう。 きっとケンカにならずに拍子抜けしたからだ!と寂寥感にも似た虚しさに理由をつけた。 「まあ〜薫が目当てだったんですね‥紫と約束してるって聞いたものだから‥」 ママがしどろもどろに気遣う。 「生憎、今日も薫はお休みなんですよ。風邪が思ったより酷いみたいで‥」 「風邪ですか‥」 藤堂は酷く落胆した声音でママの言葉を反芻する。 「まあ〜 薫だけじゃのうて紫も目当てなんじゃろっ?」 会長は俺の茫然とした様子に変に気遣ってくれた。 「‥ええ‥まあ‥」 だが奴は本意ではないと言わんばかりの歯切れの悪い返事をした。 俺は益々惨めになり、いたたまれなくなった。 それはママにも一目瞭然だったようで、 「紫、ちょっと‥藤堂さんごめんなさい」 そういうと席を立ち俺を手招きする。 俺は動揺を悟られないよう平静を装い一礼すると席を立ちママの後を追う。 控え室まで辿り着くと「翔ちゃん、ごめんなさい」とママがいきなり謝ってきた。 「えっ‥」 「よく確かめもせず、またこんなことさせて‥」 ママも居た堪れなかったようで、言葉を濁す。 俺は置かれている立場が徐々に飲み込めてきて、 「なに謝ってんの、カンチで良かったんじゃん‥昨日の後始末しなくて済んだし‥」 「そりゃそうだけど‥」 「で、さぁ〜俺、このまま帰っちゃったりしたら‥駄目かな‥」 逃げ出す訳じゃない、元々お呼びじゃなかったんだし、兄貴に会いにくる口実にされただけだ。 単に揶揄われただけなのに調子づいて指名されたと舞い上がって‥とんだ笑い者だ! 今頃きっとのこのこ出てきた俺の事、腹の中で笑ってやがるに決まってる。 そう思うと今頃になって怒りが沸々と煮えくり返ってきた。 「そ、そうね‥」 二人で思案している所にマネージャーの岡山が声をかけてきた。 「ママ‥紫さんに指名が入ってるんですが‥」 「指名って‥誰?!」 突然の降って湧いた別件に話が中断する。 「笹倉様です」 「笹倉様って‥茜ちゃんの常連さんじゃなかった?」 「はい‥茜さんお休みで‥さっき目の前を通った紫さんをご指名で‥」 「それは困ったわね。どうにかお断りしー」 ママはすぐに断るよう指示するが俺はそれを遮った。 「俺、いいよ」と躊躇もなく口にした。 このまま惨めに帰る訳にはいかない、尻尾を巻いて退散したとあっては奴の思う壺のような気がする。 それも悔しい。それにこんな俺でも指名してくれる人がいるのは正直嬉しい。 商売気もない俺が客の相手など考えられないが、奴の席に戻れない言い訳にはなる。 そう考える反面所詮素人だという一抹の不安が過る。、 「だけど、たいした接客できないと思うけど‥」 「そうよ翔ちゃん! 無理しなくていいから」と、すかさずママは俺の弱気に同調する。
だけど‥会長が紫はどうしたって聞かれた時、『指名が入ってこれません』のがかっこ良いよなぁ〜
「やっぱやる! せっかくドレスアップしてくれてんのに勿体ないし!」 俺はママの心配もよそに弱気な心を払拭し、俄然やる気になった。 「だけどママ‥大口叩く割にちゃんと接客できなくてお客怒らせるかもしれない‥けど」 とやる気が空回りするかもしれないと一応言い訳すると、 「笹倉様は難しい方ではないのでご心配いりませんよ」 と傍にいたマネージャーが助言してくれた。 「そ、そうね‥常連さんの中では質のいいお客様だから」 これにはママも同意見のようだ。 「それならいいよ。静さんに教わった通りやってみるよ」 「‥そぉ?‥ホントにいいの?!」 「うん それに会長さんの席に戻れない言い訳にもなるし」 俺の一言にママも名案だと思い付いたのか急に態度を一変させた。 「そうね、確かにそれはいいわ! 岡山! 翔ちゃん席に案内して!」 ママの賛同を得ると俺はマネージャーに案内されるまま控え室を後にした。 ママは店内に入る前に、「嫌だと思ったら無理しなくていいからね」そう声をかけてくれた。 俺はにっこり笑って頷く。 この時の俺はとにかく藤堂にへし折られたプライドを取り戻す事で頭がいっぱいだった。
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